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粟島神社 静の岩屋-八百比丘尼の入定崫-

米子市の西の郊外に「粟島」という小さな丘があり、粟島神社という神社が建っています。ここに、人魚の肉を食べて不老不死になった八百比丘尼という女が入定したといわれる石窟があります。

粟島

粟島は米子市の中心部から5㎞ほど西に走った場所にある標高36mの小さな丘です。かつては中海に浮かぶ小島でしたが、江戸時代の干拓によって地続きになりました。
山頂には粟島神社があり、万病治癒の神とされる少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られています。

粟島

静の岩屋-八百比丘尼の入定崫-

この粟島の西のふもとに、八百比丘尼が入定したと伝えられる岩窟があります。
下の画像の鳥居の向こうが「静の岩屋-八百比丘尼の入定崫-」です。

静の岩屋-八百比丘尼の入定崫-
静の岩屋-八百比丘尼の入定崫-

これは地理学的に言うと「離水海食洞」という地形と思われます。かつての岩石海岸や岩礁の波打ち際が波で削られて洞穴になり、それがその後の隆起活動等で陸地になったものです。

米子に伝わる八百比丘尼の伝説

この岩屋について、次のような伝説が伝わっています。

昔このあたりに11軒の漁師が住んでいて、粟島神社の氏子として月1回の「講」をもっていた。
あるとき、この村に一人の漁師が越してきて、講に加えてもらった。
1年後、この漁師が講の当番になったとき、「今までのお礼に」とみんなを船に乗せ、龍宮のような立派な御殿に連れて行ってもてなした。
何日かして村に帰るとき、「最高のご馳走」として「人魚の料理」が出された。しかし、誰も気味悪がって口にせず、たもとに隠して持ち帰った。そして帰る途中に海の中へ捨ててしまった。
ところが一人の漁師が捨てるのを忘れてしまい、この家の18歳になる娘が父の着物をたたむときに人魚の肉とは知らずに食べてしまった。
その後、娘は不老不死の体になり、何年たっても18歳のままだった。
娘は世をはかなんで尼になり、この岩屋に入って、干し柿を食べ、鉦を鳴らしながら息絶えた。この時、娘は800歳になっていたという。
村人は娘をあわれみ、「八百比丘さん」「八百姫さん」とよんでていねいに祀った。
今でも、長寿の御利益があるとして、広く信仰を集めている。

八百比丘尼の伝説は日本全国に伝わっています。この伝説をポップカルチャーに取り入れたものとしては、高橋留美子の「人魚シリーズ」(マンガ)があります。
幾千幾万もの出会いと別れを永遠に繰り返さなければならない「不老不死」は、人間にとって決して幸福なものではないことを、この伝説は語りかけているように思えます。

八百比丘尼の入定崫の周辺
明るく見えますが、訪れたのは18:30頃で、相当薄暗かったです
ビデオカメラの画像機能だからとれた画像です

静の岩屋-八百比丘尼の入定崫-の場所

<参考資料>
・静の岩屋 現地解説板
・新・分県登山ガイド30 鳥取県の山 著:藤原道弘 山と渓谷社 2006年(平成14)4月10日発行

次回予告 米子城-人柱となった娘-

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