義民 東村勘右衛門・1-元文一揆と斬刑地蔵-
鳥取県東部で令和の今も語り継がれている義民・東村勘右衛門(松田勘右衛門)について紹介いたします。
元文一揆
江戸時代の鳥取藩は早くから財政難に見舞われ、藩政でも重臣たちの対立が続いて、混乱していた。また、藩の年貢は「六公四民」=収穫の60%を年貢として納めるという高率だったことに加え、鳥取藩のとった請免制(米の豊作凶作に関係なく、過去数年間の米の収穫量の平均をもとに算出した定量を年貢として納める。鳥取藩ではこの率が六公四民)が農民の暮らしを苦しめた。
元文3年(1738年