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地域の悲史 鳥取県

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鳥取県内の地域の悲しい歴史を物語る遺跡を紹介しています。
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#鳥取藩

義民 東村勘右衛門・2-勘右衛門土手と東村勘右衛門之碑-

鳥取県東部で令和の今も語り継がれている義民・東村勘右衛門(松田勘右衛門)について紹介する2回目です。 東村勘右衛門について、くわしくは前項をご覧ください。江戸時代中期に鳥取藩で起きた元文一揆の指導者として処刑された人物です。 義民 東村勘右衛門・1-元文一揆と斬刑地蔵-|Yuniko note 勘右衛門土手 東村勘右衛門は旧八東町東(当時の東村)の庄屋を務めた人です。 子どもの頃の逸話として、次のような話が伝わっています。 勘右衛門が8歳の頃、寺子屋で学んでいた友だちや

義民 東村勘右衛門・1-元文一揆と斬刑地蔵-

鳥取県東部で令和の今も語り継がれている義民・東村勘右衛門(松田勘右衛門)について紹介いたします。 元文一揆 江戸時代の鳥取藩は早くから財政難に見舞われ、藩政でも重臣たちの対立が続いて、混乱していた。また、藩の年貢は「六公四民」=収穫の60%を年貢として納めるという高率だったことに加え、鳥取藩のとった請免制(米の豊作凶作に関係なく、過去数年間の米の収穫量の平均をもとに算出した定量を年貢として納める。鳥取藩ではこの率が六公四民)が農民の暮らしを苦しめた。 元文3年(1738年