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地域の悲史 鳥取県

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鳥取県内の地域の悲しい歴史を物語る遺跡を紹介しています。
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#豊臣秀吉

摩尼寺-羽柴秀吉の焼き討ち-

以前、羽柴秀吉の摩尼寺への焼き討ちに抗議して入定した道好上人の伝説を紹介しました。↓ ・摩尼寺の道好上人-羽柴秀吉の鳥取城攻め-|Yuniko note その記事で道好上人の入定崫も画像で紹介したのですが、あの場所は入定崫ではないことが、このたびの帰省で分かりました。 鳥取県立図書館で調べ物をしていて、道好上人の入定崫を紹介した記事を見つけ、このことが分かったのです。 入定崫の正しい場所を訪れなければと思い、再度摩尼寺を訪ねました。 摩尼寺 寺伝によると、摩尼寺は平安時代

摩尼寺の道好上人-羽柴秀吉の鳥取城攻め-

1581年(天正9)、織田信長の名を受けた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が鳥取城を攻撃しました。 これはその時に起きた出来事といわわる伝説です。 摩尼寺の道好上人と羽柴秀吉 戦国の頃、山中道好という医師がいた。のちに摩尼寺に入って修行し、大力の荒法師となった。 天正9年(1581年)、羽柴秀吉が織田信長の命を受け、鳥取城を攻略すべく因幡国に進出した。この時、秀吉率いる織田勢は多くの神社仏閣を焼き討ちしたが、摩尼寺には道好が立ちふさがって一人の兵も入れなかった。 ※若桜の不動院