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地域の悲史 鳥取県

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鳥取県内の地域の悲しい歴史を物語る遺跡を紹介しています。
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#岩美町

浦富の子育て幽霊-通幻禅師の話-

8月6日から続けてきた鳥取市周辺の斎場・火葬場跡&地域の悲史めぐりは、今回でひとまず最終回となります。 お盆はもう過ぎましたが、最後にもう一つ幽霊の話を。摩尼川の継子落としの滝、網代の虚空蔵山と、悲惨な子殺しの話が続いたので、最後は母親のわが子への愛を感じさせる話です。 1688年(貞享5・元禄元)に成立した「因幡民談記」(著:小泉友賢)にもこの怪談が記載されており、江戸中期にはすでにこの話が語られていたようです。 ちなみに、今回帰省した際の最後の訪問地です。 浦富の子育

網代の虚空蔵山

岩美郡岩美町に網代という漁港があります。 その網代集落の海辺に聳え立つ、虚空蔵山という小さな山のお話です。 虚空蔵山のいわれ 昔、虚空蔵山の頂は網代の境内で、頂に虚空蔵菩薩を安置したとされています。 また、海に面しているので簡単には観察できないのですが、北の絶壁の海際に大きな洞窟があり、「海賊穴」と呼ばれていたといいます。この穴には但馬国(兵庫県北部)の強盗が隠れており、周辺を荒らしたと言い伝えられています。 <以上「因幡志」(著:安陪恭庵 1796年成立)による> 子

岩常の耳塚

岩美郡岩美町の岩常(いわつね)にある「耳塚」を紹介します。 これは南北朝時代の戦死塚です。 はじめに、少し長くなりますが、耳塚の由来を知っていただくために必要な「観応の擾乱」と「山名時氏」について説明いたします。 観応の擾乱 観応元年(1350年)室町幕府初代将軍の足利尊氏と弟の足利直義の争いが起こった(観応の擾乱)。尊氏と直義の対立は、朝廷内の対立(京都の北朝と吉野の南朝)、公家と武士の対立も巻き込んで全国に波及した。 観応の擾乱は、正平7年(1352年)の足利直義の

荒金鉱山朝鮮人犠牲者供養塔

1943年(昭和18)の鳥取大震災で犠牲となった、荒金鉱山で働いていた朝鮮人労働者の供養塔です。 荒金鉱山について 荒金鉱山は、鳥取県岩美郡岩美町にかつて存在した銅鉱山で、岩美鉱山とも呼ばれていました。 旧日本鉱業株式会社によって採掘が行われており、銅の他に金・銀・銅・亜鉛なども産出していました。 698年にここで採掘された銅鉱が朝廷(文武天皇)に献上されたとの記録があり、記録上では日本最古の鉱山です。 1889年(明治22)に銅の露頭が発見されて以来、大きく発展しました