![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/126268416/rectangle_large_type_2_c8bb360768abd941349b112a28e803d0.jpeg?width=1200)
紅白を見ながら2023年が消えてゆく
あっという間に12/31になってしまった。
12/28~12/31の速度は、365日中でいちばん早いと思う。
その数日間はほぼ記憶がない。
紅白歌合戦では郷ひろみが歌って踊っている。
母は同い年らしい。
鬼滅の刃、見てみたいなあ…。
おもしろいって職場の人に聞いた。
母と紅白を見るのはけっこうおもしろい。
普段一緒にいないからだと思う。
審査員の吉高由里子を見て、『更けたね』と言うのには閉口したが、その後に映ったバカリズムについて私は母に、『更けてないの?』と詰めより、『吉高さんは着物姿だからそう見えるだけじゃないか』と押し通した。
女の人にだけ『更けたね』というのはやめてほしい。
演歌歌手の若きホープ山内惠介が浅草の商店街で歌う際、間奏で『山内惠介は四十歳になりました』と言ったのがめちゃくちゃおもしろかった。
ジャニーズがOUTして、韓国勢がINして、母が『(どっちも)わからん』と言ったのもおもしろかった。
私はジャニーズはまあまあわかるけど、まあ母と一緒かなと思った。
久しぶりにビールとか日本酒とかワインとか、いろいろ飲み過ぎた。
紅白の司会が女性二人男性一人なのはけっこう安心するなと思った。
橋本環奈は言うまでもなく、みいちゃん(浜辺美波)もしっかりしすぎていてすてき!♡
ボーダレス、というテーマは謎だけど、審査員も含めいろいろ万人にアクセスしようとしていておもしろいと思った。
もちろん全員に響くわけでは全くないのだが。
エネーチケーとしては、全員を意識するのは大事なんだろう。
できないんだけどね。
単純に頑張っていておもしろかったり(ドミノとか)、ただすごかったりして(ドミノとか)、馬鹿にできないなと思う。
🎙️
2023年の振り返りは…
年始に妹とケンカして精神と身体を痛め、少し長引いた。
原因としては、子どもへの態度について揉めたのだが、2023年の年末にも、妹が子どもにかなりイラついて言葉を投げ掛けているシーンがあり、けどその際は、私は、子どもと妹の関係性のことを考えたり、妹のほうに少し寄り添って考えてみたりしていた。時の流れによる変化がある。
🧴
2023年の1月から3月は授業がなく、有給でありがたくも手持ちぶさたと休暇を味わいながら、プラスアルファでオファーされた授業は、前任者の例に無く断ったりして、ともかく完全に休んだ。
その間に何をしていたのかは完全に覚えていなかったから、たぶん何もしていなかったのだと思う。
何をしていたのか? と、後から人に聞かれるのも嫌がっていて、我ながらめんどくさかった。
この期間にぐっとラジオ聴取のルーティンが増え、一年間続いた。
(火)大竹まことのゴールデンラジオ
(木)ハライチのターン
(金)武田砂鉄のプレ金ナイト
(土)オードリーのオールナイトニッポン
📻️
4月になったら新しい時間割が決まり、三年生の担当が4年目となったので、飽きたわけでもないのだがマンネリが否めず、1年間にわたって気を抜いてしまった。悪いことではないが少し罪悪感が残った。
あと、若い人たち(生徒)について、いよいよよくわからん! と思った。(かわいくはあった。)
夏。
夏休みに入ったとたんコロナになり、後遺症が約2ヶ月続いたことにも辟易した。
今も続く気管支喘息はコロナのせい。
コロナのうざさについては、自分のこの怒り100%の感想のほかには、津村記久子の感想しか、そのうざさについて明言されていないのでもどかしく思ったが、津村さんがいてよかったと思った。
風邪などではない。風邪は、こんなに厄介で、まとわりつくように嫌らしくて、人の体を症状でもてあそぶような気持ち悪い性格はしていない。インフルエンザとどちらかを選べと言われたら、もしこれまでの人生でかかったインフルエンザ程度でいいのなら、迷わずインフルエンザを選ぶ。
どんな雰囲気を作られても、自分はかかりたくないから、五類になる前と同じ対策をしていたのだが、それでも感染した。どんな感情よりも悔しさが先に立った。遡(さかのぼ)って考えると、市中感染なのだろうと思う。いつ熱が下がるかわからず、数時間ごとに違う症状が現れて、また熱が出る。もうずっとこれを繰り返すのではないかと不安になる。会議の欠席を申し入れて、延期した打ち合わせの約束をまた延期することになって、あの仕事はできませんとメールを書いているうちに泣けてきた。そして終わってみないと後遺症があるかどうかはわからない。
これぐらい怒れることではないか???💢💢💢
津村記久子の『水車小屋のネネ』めちゃくちゃよかった。
🎤
紅白では、AKB系の出演者に対して、私も母ももう何も言わないのが感慨深いと思った。悪口も感想ももう何もなかった。
私に関して言えば、おじさんが作った曲を若い女の人が歌うあり方には一生反吐が出ると思っている。
🏡
帰省してよかったことはたくさんあったが、Eテレの『アイラブ・みー』という番組に子どもたちがハマッているのがすごくよかった。私も、自分だけでは見ないのに噂だけ聞いて妹に勧めたり、母の家のテレビの録画予約設定をしたりしていたのだが、ついに子どもたちの学齢がそれに見合ったらしく、子どもたちは堪能しているらしい。
私も忘れがちな人権的大事なことを、真面目にふざけておもしろくやっているのがよかった。
秋ごろ、職場の人と仲良くなって、まるで友達みたいな深い話を職場でしたのが本当に楽しかった。そのせいでやめたくないと思ったほどだ。
秋を過ぎたら次の職場を探さなきゃということに思考がとらわれて、国と学校を恨んだ。
有期雇用の制度を激しく嫌悪する。
同時に、オードリーの若林正恭が言っていたように、この国で今生きていくためには死ぬほど働かなくちゃいけないってこと。どれだけの人がその事実とそのおかしさを認識しているのだろうか? 給料を社会保障費にほぼ持っていかれるぐらいなら無理して働きたくなどない、と思うのが私の普通なのだが。
ビールと日本酒とワインを飲んだ紅白の頭ではすべてが曖昧で、おじさんって大体こんな精度ですべてを認知しているのではないかと思った。
それならば、あのおぢともこのおぢともあらゆる話をすればいい、とノリで思った。
おぢ、というのは今年『いただき女子』で捕まったりりちゃんが、カモっていたおっさんたちを総称して呼んだ呼称。
おぢ的感性で言うと、『市子』は胸くそ映画だな~と思いながら見ていた。
『ダンサーインザダーク』の系統。
その意味でつらくなったが、こういう映画に限って早く終わらないし寝ない。
見なけりゃよかったのではなく、見れてよかった。
みんな、杉咲さん(杉咲花)の表情の演技に頼りすぎじゃない?
謎めいた役柄という設定のもと、極端に本人のセリフが少ない。
喋ったと思ったらかなり幼く舌足らずで、それもまた、人と接したり言葉でかかわり合った経験のなさ、と言いたのかもしれないけど。
ほぼ、『うち、それ好き』という台詞による、たとたどしく、端的で原始的な、だからこそ力強い、ハッとさせられる不思議な存在感の妖しい魅力をもつ少女…
みたいな方向性? がやりたかったこと??
カメラが執拗に、杉咲花の顔とか肌とか汗とかに接近したり静止して、男や観客の視線を向けさせる手法がいやだった。
そういうことの匂わせと、いつそのシーン(レイプされる)になるんだろうと期待?させる、ゲスな興奮を引き起こさせるねらい通り、みんなが欲情するって感じで。
そういう(マスターベーションの)おかず的な撮り方も見せ方ももう嫌なんだな自分は、と思った。
見飽きたし。
ポルノじゃないのに結局ポルノだし、それを期待してるんだろって言われてるようでつらいし、300日問題とか無戸籍問題とかを扱いたいにしても、搾取される女のこととか、それを訴える手段(映画)も搾取である(ポルノ)、という、どうしようもない構造ということももういいんだって。
それでもできるだけ、(セックスの描写はないという)配慮がされてはいたのだろうけど、なんかもうそれにしたって官能的なことをにおわせ、読み取らせようとする感じとか、結局読み取ってしまう自分とかにもううんざりした。
読み取ってしまうのは私の感受性が狂ってるからかもな。
たとえ、映像作品で少女の性被害を描くとしても、『絶対に観客や視聴者のおかずにさせないと決めていた』とインタビューで言っていた『MIU404』の女性の監督のことを知ってるから、やはりどうしても比べてしまう…。
ほぼ満員の観客にも、疑いの目を向けたくなる始末…🤷
これ(ポルノ)を期待して来たのだろう?って。ゲス!私がな!
本人に非のない女性の背負わされる理不尽な運命の描かれ方が、宮部みゆきの『火車』の時代から全然変わってなくて、これって一生変わらないのかよ!
それは現実でも変わってないからなのかもしれないけど、描き方はもう変えようよ! って私は思うのかもしれない。
🎥
🍞
🎅
友達と話していたら、『アナーキストやね!』と言われた。
自分の、『私は非常勤なので絶対にテストは作りません!』という主張や、区役所でも、保険料の支払いに対して揉めた件について、どうしてそんなふうにいつも主張してしまうのだろうとか、周囲に迎合する『普通』の人たちのことを私はどうしても自分とは違うと感じてしまう…ということについて話していたのだった。
私は、それによる寂しさとか、どうすることもできなさを感じたということを言って話を締めくくろうとしていたのだが、友達による、『アナーキストやね!』という言葉に話の流れが止まった。
私が、『無政府主義?』とか、『伊藤野枝?』と、知っている『アナーキスト』について言うと、友達は持ってきた分厚い、付箋だらけの本を開き、『ブレイディさんが言ってる!』と言う。
そこから調べると、ブレイディさんと國分功一郎が対談しており、
ブレイディさんもずっとそうされてきていますね。緊縮財政を批判する一方で、アナキズム的な情景が立ち上がっている現実を常に書かれてきた。僕は「国の責任を見逃したら絶対にいけない」ということと、「アナキズム的な力を見失ってはならない」という両方のメッセージをブレイディさんの本に読んできたように思います。
(何万回やってもリンクが貼れなすぎて諦めた。)
ということに自分の日々考えていることが一致し、納得した。
ブレイディみかこの言う『アナーキスト』の考え方はとてもよかった。
『自分で考え、自分で決める』。
そうか、だから私は一人で孤独だと思っていたのか。
世の人たちと同じじゃないから。
自分で考え感じ反応していたら、こんなに働いていても賃金が高くないことや給金のほとんどを社会保障費として国に持っていかれるわりに恩恵を実感する機会が皆無であることに対して甚だ疑問だし、そもそも自分はともかく他の人、例えば不遇の人たちだけでもせめて健康で、基本的人権を保証されて幸せに生きている…とかでもないのが、とにかく、は? と思わされる。
日本てそうゆう国。
払う甲斐を全く実感できないクソ政府だと思っていたことを、しかしわずかな友人としか分かち合えないのが謎だとは思っていた。
本来であればその思考とか発想とかにいたってもよいはずの人権教育が、この日本ではなされていなかったんだよな。
それらが 、ブレイディみかこの『THIS ISJAPAN』を読んで実感できたことだった。
これが、年末にかけてよくわかったことだった。この国のしくみ。
じゃあ私はどうする?
何をしたい?
何ができる?
というのが次のテーマ。
📺️
紅白の女性司会者の二人、浜辺美波と橋本環奈が立派な経歴を誇り、歌手たちとの仕事上の関わりも豊富というのが燦然と輝いていて、男性有吉と肩を並べているところが、若い女性を中年男性に対するよいしょやケアに従事させずにいて、安心できるところなのだろうか。
じゃあ、そのためには若い女性にも中年男性と同じぐらいのキャリアを必要とさせる、ということ???そんなの変だよな。
🎶
年末を通して、柚木麻子の『らんたん』を読んでいた。明治から昭和にかけての女性史なのだが、駆け足であっても単なるあらすじに終始するのではなく、かなり大切なことを落とさず集中して書いているので、そのつど読んでた風呂で泣いてしまった。
当時、そして長らく評価されてきた主に男性作家による、暗く茫漠とした陰や美…とかいうものよりも、明るく楽しくはしゃいでいることの良さについて作者がこだわって書いているのが本当によかった。
妹の子どもたちとテレビを見ている際、ふいにガザやウクライナの殺戮や戦闘について報じられて、どうしたらいいのかわからなくなる。たぶんこの子達がそういうふうに死んだとしたら私は気が狂うし、国や世を許すことなどできないと思う。だからといって、今戦争に直面しているわけではないという運命を喜ぶことも、そうである人たちを別に切り分けて憂えることもできない。何も決められない。ともすれば、今そうでないことに罪悪感を抱きそうにもなる。でも。暗い顔をすればいいってものでもない。
12/31がたとえ終わっても現実は続き、人生は続く。
それだけだとも思う。
でも、わかったふりをせず、馬鹿みたいに、あるいは子どもみたいに、怒ったり泣いたり笑ったりしようと思う。
この国のしくみをわかったうえで、
じゃあ私はどうする?
何をしたい?
何ができる?
というのが次のテーマ。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?