見出し画像

「普通」と「変」について。人の背中を押す存在でありたい話。

普通とは。
変とは。

これについては迷宮入りであり、人の価値観によって大きく異なる。

今日のブログは私個人としての意見としてみてほしい。
というか、ブログだから当たり前か。

普通とか変とか、答えの出ない物は考えていてとても楽しい。
一度答えが出ても、まだ気づかない答えがあるんじゃないかとずっと考えている。
私は議論をするのが大好きだ。
見るのも好きで、AbemaTVはよく見ている。
あれは堅苦しくなくて見やすいし、私はひろゆきさんが好きなので、三次元の芸能人系(?)のものだけれど珍しく好んで見ている。

現時点で考える、私なりの
普通とは「長い物に巻かれる人」
変とは「出る杭を打たれなかった人」
かなと思う。
普通=たくさんいる人。
変=あんまり周りにいない人。
という個人の認識の上で書く。

私なりの普通の人に対するイメージは、そこら辺によくいる大人だ。
まわりの意見を聞いてコロコロ自分の意見を変える人。
自分を貫き通せない人。
上司に媚び売る人。
周りの目ばかり気にして好きな物を好きだと言えず、結果周りと一緒になって悪口を言う人。
自分は何ひとつ行動できないクセして、なにかを始める人をとりあえずバカにする人。
他人を蹴落とす人。

つまり、私の体験してきた中の、過去の職場でよく見てきた人だ。
そういう人の事を普通と思う。

変な人へのイメージはこの反対だ。

私は変な人が好きだ。
リアルだけで考えると、変な人に出会う確率が少ないからだ。
出会う確率が高いのは普通の人たちばっかりだった。

明日死んでも悔いがないように、推しや好きな人(恋愛的な意味ではなく)には好きと伝えることをモットーにしている。
おそらく人間誰しも、好きと言われて嫌な気分になる人は少ないだろう。
それこそ恋愛として好きと言いまくるのは相手の迷惑を考慮したほうが良いけれど。

その人にとってプラスに前向きになるならば、どんな思いも伝えようと心がけている。
推しや好きな人が傷つく姿は見たくない。

そして私は自分を守る為、背中を押さずに「ゆなぞに止められたからやらなかったけど、やってれば良かった」と後悔されるのが一番嫌だ。
基本的に「刺されたくない」と思って生きているので、自己保身に徹底している。
我が身が一番大事なのだ。

ちなみにこの後悔のセリフは、自分自身が母親に使ったことがある。

中学時代、バドミントン部に3年間所属していた。
だけど1年目にして辞めたかった。
向いてないと確信していたし、運動が嫌いだからだ。
なんとなく入部してみたものの、先輩は怖いし、走るの嫌だし、大会では絶対に初戦敗退するし、ダブルスは苦手だった。
女子は群れようとしていたので、みんなそれぞれペアを作り、ダブルスで組みたがっていた。
ダブルスを選んで自分のミスで負けるのは恨まれそうで嫌だからシングルスを選んだが、そういう群れが気持ち悪かったってのもある。

シングルスかダブルスか、どちらを選ぶかの希望を取り終えた後に、先生に実力を試すからと言われて、最初は女子ひとりひとりとダブルスを組まされやってみたが、相手の動きを考慮できない私は見事に邪魔しかしない結果に終わり、無事シングルスになった。
この頃から、協調性がないと言われているだけあるな、と我ながら思う。

女子が多く、コート2面は女子チーム。
1面は男子チームだった。

私1人がシングル一本の人だったので、奇数で数少ない男子チームに入れられた。
それもキツかった。
私は同性といる方が話しやすいし気が楽なのだ。
おそらく、これは父親がいないからだと思うが、男性に対して少しだけ苦手意識があった。

大人になってからはだいぶ解消されたが、男性恐怖症で検索かけた事もあるくらい、同性といる方が気が楽だった。
ネットの世界では男女問わず関われるが、リアルだとほんの少しだけ苦手意識がまだある。
実際会った人に、そう見えなかったと言われれば嬉しい。

もう、ほんとに辞めたかった。

親に辞めたいと何度も何度も説得したが、「辞め癖がつくから」という理由で毎回怒られていた。

人生、自分で選択してきた事ばかりで、自分の選択に一個も悔いはなく生きているが、人のせいで悔いが残ってるとしたらおそらくこれが大きい。

転職11回だから結局辞め癖はついたし、そもそも辞めることが悪ではないと思っている。
時には逃げることだって必要だ。
高校生になってバイトをさせられたので、私の放課後の楽しい思い出はめちゃくちゃ少ない。
※私にとって友達と遊ぶことが楽しい思い出ではない。自分の時間を確保するという意味での楽しい思い出が少ないのだ。

悪いが、バド部で良かったと、続けて良かったと思った事がこの人生で一度もない。
太ももが固くなったので筋肉太りもこのせいだと思っているし、お金がなくてユニフォームが買ってもらえずに最後まで惨めな思いをしたのもトラウマだ。

母親の言いなりになったら地獄を見るという事だけは学べた。

だから私は「これをやりたい」と言ってる人は絶対に止めないようにしている。
母親はネガティブで、なんでも止めてくる人間なので、絶対にあのようにはなりたくない。
私の「どうせできるはずがない」と思うネガティブな部分は遺伝だと思っているので、毎日その考えを振り払っている。
自分自身がこの道を選択しとけば良かったと後悔する辛さを知っているからだ。
最悪、止めてきた誰かを一生恨むことになるかもしれない。私はその責任を負いたくない。

だからこそ、私の突発的決断を止めてくれる友人は尊敬している。
その分の覚悟を背負っているのかと逆に考える事ができるからだ。
引っ越したらその説教を喰らえないと思うと寂しいものがある。

自分がなんでも行動を起こす側の人間であり、苦労はあったが幸せだったと胸を張れるので、なにかを始めようとする人は止めたくない。
自分が決めた事であれば、痛い目を見るのは自分だ。
なにかを始めると言うことは、本人はその覚悟ができているはずだ。
結果的に止まった方が正解だったとしても、あの時止めてくれてありがとうとは思わない。
自分だったら、失敗してでも行動しなければ納得できない。

例えば自分の家族がいたとして、
「これからタバコを始める」と言ったら私は止めるだろう。
これも自己保身の塊として思うが、寂しいのは嫌なので先に死なれたくないからだ。
タバコぐらいでは引きずるほど後悔しないだろうし、こんなんで後悔するような奴とはそもそも合わない。

最近は特に言葉の重さについて考えることが多い。
自分の存在が、誰かの何かになれたら嬉しい。

「masser ato」さんというYouTuberさんが突然私のオススメに浮上し、ご飯を食べる様子が面白くて最近かなりハマって見ている。
そして以前、ライブ配信に挨拶程度のコメントをしてみた(アーカイブのコメントは見れないようになっている)。
まさかの、私のYouTubeに飛んでくれて動画を2本も見てくれたそうで、動画内でそれにちなんだ話を語ってくれている回がある。
それとは別の動画にだが、私も応援の気持ちとしてコメントを残させて頂いた。
とある日のライブ配信では嬉しそうな表情を見せてくれて、こちらも温かい気持ちになった。
あの瞬間はとても平和な時間が流れていた。
これからも健やかに長生きしてほしい人物だ。
やはり誰かを貶めずに必死に努力する姿はカッコいい。
私はこの方の姿を見ていろいろと学ばせて頂いた。

今はまだ自分のYouTubeの方向性と向き合ってる最中だが、これはかなり大きなポイントになりそうだと思った。
オススメに上がったのはある意味運命だと感じている。

わざわざ愛知県へ引っ越すからには理由がある。
計画を立てている事があるので、まずは始めるところからが問題だ。スタートできるだろうかという不安がほんの少しだけ残る。
これからも様々なことを考え抜いていこうと思う。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集