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“生きる”を見つけた -私や世界を信じる地図-

こんなタイトルをつけると
大袈裟に聞こえるかもしれないけれど
わたしは自分なりの”生きる”を
ようやく見つけることができました。

この世の仕組みが分かったとか
みんなもこれが正解だ、なんて
大それたことを言いたいわけではなく

わたしがずっと求めていたのは
「自分を心底信じてあげられること」
「ここに生きていていいんだって思えること」

だったと思うんです。

「覚醒したい」「悟りたい」と
インドのアシュラムの修練のコースに参加するため 何度も渡印したこともありますが

やっぱり、そこで求めてたものって
「自分を心底信じてあげられること」
「ここに生きていていいんだって思えること」

だったんだなと今は感じます。

(悟りを深め、般若心経にあるような”私だと思っていたものはすべて空である”、の境地にいる方からすれば、その”自分”とは?と問われそうですが、そういう話はまたどこかの機会に)


昨日私は、とある人と話していて

外の世界では色々起こるのだけど、自分の中に確かに揺るがない”信頼”が今はあること

そして
自分にとって心から信頼できる家族(幾多の苦難のプロセスを経て旦那さんがそういう存在になった)と暮らしていて、家が自分のパーフェクトな安全基地(心のホーム)になっていること

をはっきり言葉にしてあらためて感じたんです。



ずっと感じたかった自・他・世界への信頼や安心。
でも生まれてからずっとずっと遠くて
あり得ないものだったもの。

努力だけでは感じられないもの。
知っているのと、”そうである”ことに
天地の差があるもの。

もちろん思考への刷り込みとかでは
何ともならない無意識領域のもの。

だから生まれてから数十年ずっと
それを感じたいが為に探求を続けて来ました。


それが今は、自然に無理せず感じられているんだ。
むしろ内側から泉のように湧いてくる。

それを感じられたことで
またnoteを再開しよう
言葉にしてみよう、と書き始めてみました。


生育歴を含めた問題から
生まれて来なければよかったと
なんで生きてるんだろうって
そういう時間が長かった。

虐待、家族の自死、摂食障害、鬱、パニック
離婚やその他、鉛のように重い身体

生きる土台がなく
平和な日本でも
戦争の中にいるほどに
恐怖や緊張の強い日々でした。

そんな自分でも、変わることができた。


これからも”生きる”は続くし
心を痛めることだってある。

でも、自分を愛せなかった自分が
自分を愛せている今がある。

こう生きていったらいいんだって
そんな”道”を見つけられた。

生きる“地図”を見つけた
という感じがぴったりかもしれない。

迷っても揺れても
内側に還れる確かな場所がある。


何かすごそうな誰かが
私の信じる地図や生き方を否定しても
その人と戦ったりする必要もなく
私は私の生きる道を心から信じられる。

そんな今感じている感覚が
自分にとっての”幸せ”な気がしています。

ポツポツと、こんな風に
自分にとっての”生きる”を
日々の色々を

そして自分を今の感覚に変容することを
助けてくれたルート治療やカウンセリングについても
言葉にしていきます。

またよろしくお願いします。

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