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異国の風景を見る意義

特段イタリア好きというわけでもないのだが、またイタリアに行ってきた。4年ぶり、4度目である。

開国したとはいえ未だ続くコロナ禍、円安、燃油サーチャージ高、さらにはロシア上空を飛べず迂回ルートを行くしかないこの状況でわざわざヨーロッパにまで行ったのは、ひとえに両親の希望である。

70代の両親はもともと旅行が好きだ。前は最低でも年に1度は海外に出かけていた彼らはコロナ禍の間、『世界ふれあい街歩き』の再放送やYoutubeの旅行動画を見て「次はイタリアのシチリア島へ」と狙いを定めていた。そして日本への入国制限が緩和され始めた頃、上記の社会情勢から難色を示す私に「我々にはもう時間がない」と迫り、そのシチリア旅行が決定した次第である。こうして10月末から11月の頭にかけて、シチリア島5泊(パレルモ2泊+タオルミーナ3泊)、ローマ2泊、そして機中2泊の7泊10日の旅が実現した。

正直、出掛ける前は若干億劫な気持ちがあった。私自身は2020年の2~3月にアメリカに滞在して以来、2年半ぶりの海外だ。日本にずっと籠っている間にこの安全かつ清潔で、物価が安く言語に困らない環境にすっかり慣れてしまい、そのコンフォートゾーンから出ることが単にめんどくさかった。

そうして若干の緊張感を抱えながら新幹線(今回は成田発だった)と飛行機3本を乗り継いで辿り着いたのが、シチリア島最大の都市パレルモである。そしてそこは、コロナ禍で日本に慣れ切った私のコンフォートゾーンから大きく外れる環境だった。

というのも、道路にはゴミが溢れ、そこら中で人々がタバコを吸っているのである。道端で誰かが小用を足したと思しき匂いもした。どこのトイレに入ってもなぜか便座が汚い。そして皆ものすごい大声で喋る。劇場でオペラを見ている最中にさえ喋る。それどころかかかってきた電話にも出る始末。その幕間には劇場内にタバコの匂いが漂っていた。

この街の風景で思い出したのは、2000年代に訪れた広州や釜山、ハノイなどアジアの都市だ。実際に母親も「初めてソウルに行ったときを思い出した」と言っていた。しかし1つ違うのはそれら都市は当時発展途上にあったという点である。パレルモはG7の一角を成すイタリアで、5番目の人口を抱える都市なのだ。その先進国の大都市で、約20年前のアジアで目にした光景が広がっていることに衝撃を受けた。

その一方で、なんだか妙な安心感もあった。なんというか、もっと「いい加減」でいいのかもしれないと感じたのだ。

自分で言うのも何だが、私の生活は結構ちゃんとしている。コロナ禍では特にそうだ。規則正しく寝起きし、手洗いうがいは欠かさず、健康的な食生活を送り、週に2回は筋トレし、肌の手入れは怠らず、堅実に資産運用もして、社会のルールや不文律には従っている。仕事も順調である。

その一方で、たまに私は一体何をしているのだろうかという気分になる。将来の健康のため、体型を維持するため、シワやシミを最小限に抑えるため、お金に困らないために努めているわけだが、私は果たして小綺麗で小金持ちの品行方正な婆になるために、人生で一番若く活力のある今をせっせと費やしてるのだろうか。

加えて、最近色々うんざりし始めている。たとえばビジネス界隈がしきりに訴求する「生産性」の価値観がいつからか仕事を越えて生活領域を侵食し、プライベートで非生産的な時間を過ごすと若干の罪悪感を覚えるようになったこと。仕事はもちろんプライベートの人間関係の多くがデジタルテキストでのみつながっており、そんな状態に不安を覚えながらも特にアクションを起こしていないこと。次々に登場する最新テクノロジーの大義がよくわからず、「これ必要か?」と頭のどこかで感じつつもメディアやインフルエンサーによる好意的な見解になんとかついていこうとしていること。そんな自分に若干うんざりなのだ。

国外の空気が吸えなかったこの2年半、私は少し酸欠状態だったのだろう。同じ環境で、同じ生活・行動パターンを繰り返すうちに、今この瞬間に自分がどうしたいかを考えることなく「将来のため」「仕事で成功するため」の選択を優先するようになった。そして頭のどこかでは常に疑問が浮かんでいるのに、それを有耶無耶にして毎日を過ごしていた。そんな日々は、どこか選択の手綱を握れていないような感覚だった。

パレルモの光景は私の頭に新鮮な空気を送り込んでくれた。そこには、私が普段関わる世界のスピードとはまったく異なるマイペースな世界があった。もちろんタバコの匂いや汚い便座は不快ではあったが、そんな雑然とした風景から感じたのは人間らしさであり、いい意味での自己中心性だった。

振り返れば4年前にイタリアを旅行したときに印象に残ったのも人間らしさである。当時サンフランシスコで働いていた私はビザや仕事の内容などで色々煮詰まりながらもとりあえず毎日をこなしている状態だった。そんななか訪れた中部~北部イタリアで芸術品の数々に触れ、当時住んでいたサンフランシスコと大きく異なる不便な環境に身を置いたことで、自分の視点を取り戻したような気になったのである。

そう考えると、やはり異国を旅する意義は大きい。それは単にその国の文化を学び・楽しむ喜びを得られるだけでなく、その土地の風景が自分の思考や価値観に作用するからである。たまたまそれが2回連続でイタリアだったが、イタリアだからそうというわけではないはずだ。とはいえ、5回目のイタリア旅行に出かけることがあれば、また何かを得て帰ってくるのは間違いないだろう。

(トップ写真はシチリア島東部にあるタオルミーナのギリシャ劇場とエトナ山。ここは世界的リゾート地であるからか、ゴミはまったく落ちておらず大変綺麗で、同じ島内ながらパレルモとのギャップにまた驚いた)


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