見出し画像

フリーランスを卒業、新たな岸へ

相変わらず直感と勢いだけでキャリアの川を下っているが、次にたどり着いた岸が「会社設立」とは自分でも予想していなかった。これで新卒以来私の経歴は、国内大企業社員→専業主婦→大学のパート職員→海外インターン→海外中小企業の管理職→日本でフリーランス→会社役員となった。実にバラエティ豊かである。

それまでも法人化した方がよいというアドバイスは方々からもらっていた。しかしまったく気分が乗らず気楽なフリーランス生活を送っていたわけだが、師走真っ只中に急にスイッチが入り、年明け早々に登記を終えた。

と、設立経緯だけみればドタバタ感が凄まじいが、背景としては個人事業時代の4年間で自分の軸が定まり、新たなチャプターに入る機が熟したのだと思っている。

その軸の1つが、DEI(多様性、公平性、包括性)だ。18歳でダイバーシティという言葉に出合って以来、それはマイノリティの私にとって自分の存在を肯定してくれる概念だった。詳細は「自分の国がない私のストーリー」に書いたので割愛するが、以来それは私のなかで大切な価値観として根づいたのである。

とはいえ2000年代の就職および働き方事情ではダイバーシティなどに脇に置くしかない。若かった私はしばらくその情熱に蓋をして、多数派に迎合して生きた。差別的な言葉やセクハラも気にしないように努めた。仕事とは、社会人とは、そんなものだと思っていたのだ。

紆余曲折を経て個人事業主になった当初も、そんな情熱は仕事と別次元の存在だった。とはいえ、自分が書いたり編集したりするコンテンツの表現には気をつけていた。

たとえば国籍を限定しない文脈で「日本人は~」という表現があったら「日本に住む人々は~」に変えたし、「女性社長」など無意味にジェンダーを強調する(そして社長=男性という固定概念に基づく)表現は取った。でもそれは、差別や偏見に「敏感すぎる」私のささやかな抵抗ぐらいの意識だった。

それが変わり始めたのは、独立して2年が経った頃から始めた仕事がきっかけだ。あるグローバル企業が運営するメディアに毎月3本ほど仕事や働き方に関する記事を書くのだが、各記事のテーマは自分で設定できる。そこで私は徐々に女性の働き方や外国出身者とのコミュニケーション、職場でのマイクロアグレッションやアンコンシャスバイアスなどDEIに関連したトピックを扱うようになった。

すると徐々に情熱が戻ってきた。自分が大事にする領域でリサーチしたり取材したりするのは純粋にとても楽しかったし、やりがいも大きかった。

1年ほど続けた頃、その仕事で以前取材した相手から新たな話が舞い込んできた。ある国内のベンチャーキャピタルファンドがライターを探しているという。それは3人の女性が2020年に設立したESG(環境、社会、ガバナンス)特化型ファンドであり、DEIはESGの大きなテーマの1つだ。創業者は以前から個人的にフォローしていた憧れの人々だ。そんな企業のお手伝いができるのは光栄だし、何よりも学ぶことの多い機会である。その仕事を始めたのを機に、情熱は加速していった。

こうして徐々にDEIに関連する仕事の比重が増えてくると欲が出た。ついに私は3年間続けてきた大口クライアントの仕事をやめる決断をした。月に70時間もの比重を占めていたその仕事をやめるのはさすがに悩んだが、自分の情熱を仕事の中心にしたかったのだ。

あとはその企業が大きく成長していて、私が関与できる幅が以前よりも限定されるようになっていたのもある。どちらかと言うと、私はこれから成長するフェーズの企業をサポートするのが好きなのだ。

DEIに関連する仕事を引き受ける余力を作りたい、そして若い企業の成長に貢献したい、そんな理由から安定したクライアントを手放そうとする私に、友人の1人は目を丸くしてこう言った。「黙ってやってればお金が入るのに」。しかし黙ってやれないのが私である。

いよいよクライアントに伝える日、私はかなり緊張していた。しかし意を決して話した私の気持ちをクライアントは尊重し、やめるのではなく規模を縮小したらどうかと提案してくれた。本当にありがたい申し出だった。

そんな話を終えた1時間後、かつて一緒に仕事をした人からメッセージが届いた。国内でDEI推進サービスを提供しているスタートアップが、ブランドボイスやトーン、表記のガイドラインを作れる人を探しているという。まさに情熱ど真ん中の分野で、自分のスキルを発揮できる仕事だ。

DEI推進をメイン事業としている企業だからこそ、使う表現は徹底的にインクルーシブなものにする必要がある。ここにきて私は「敏感すぎる」視点が強みになるのだとはっきり自覚した。

そういえば独立すると決めたときも、決断直後に最初の仕事が舞い込んできた。今回の話が来たのも、大きな決断をした1時間後のタイミングである。When there's a will, there is a wayという言葉をまたしても思い出しながら、ご縁としか考えられないこの仕事には全力で取り組んだ。ご縁はその後もつながり、今もエディターとして協力している。

さらに年の瀬が迫った頃、フリーランス支援のプラットフォームを運営するスタートアップからも声がかかった。オウンドメディアのコンテンツマネージャーである。この企業自体が女性と外国人によって設立されており、フリーランスの活躍を後押しするという点で生き方の多様性を促進している。

こうして恵まれた数々の機会を通して、私のなかで自分の情熱を仕事の中心に据える覚悟が固まった。スキルだけでなく、自分ならではの視点も私が提供できる価値だと言えるようになった。もしかするとそれはずっと前からそうだったのかもしれない。けれど、ここにきてようやくそれを自分で認めることができた。

振り返れば私はずっと、自分の敏感さを恥じてきた。差別や偏見、隠された悪意を敏感に感じとり、いちいち傷つく自分が嫌だった。けれどそのセンサーこそが強みなのだと自覚すると、それも一気に楽になったのである。

そうして自分の方向性がまとまってくると、法人化を前向きに考えるようになった。以前は会社の創業など私以外のすごい人がやるものだと思っていたが、今は違う。それはほとんど覚悟の問題だ。やろうと思えばたぶん誰でもできる。ただ、自分なりのきっかけがあるかないかだ。私の場合、それは自分が本当に大事にしている価値観と仕事を結びつけられたことだった。

こうして2023年1月6日に株式会社Incが生まれた。Incの由来は「Inclusive + Creative」。誰も取り残さない視点を強みとして、ブランディング、ローカライゼーション、コンテンツ開発を手掛けるクリエイティブ企業である。

もしかすると、今回流れ着いたこの岸には少し長く滞在するかもしれない。しかし川下りの行先は船に乗っている本人にもわからない。とりあえず降り立ったばかりのこの地で、今は目の前のことに集中して取り組むのみである。

Image by Quang Nguyen vinh from Pixabay


いいなと思ったら応援しよう!