見出し画像

『ノマドランド』から気づいた安定への未練と執着

3月半ばから1か月半ほど、少し精神的に不安定だなと感じる日々が続いた。とはいえきちんと仕事はしたし、ジムにも週2回のペースで通っていた。3食自炊していたし、夜もちゃんと寝ていた。しかし常に不安感があった。逆に言えばそうして生活を保っていることで、自分なりにバランスを取っていたのかもしれない。十分大人になった私はそのあたりの対処法も自動装備していたのだろう。

そんななか1本の映画を見た。アカデミー賞作品賞を受賞した『ノマドランド』だ。そして不安の正体とも思えるものがぼんやり見えてきた。それは、私は自由を求める一方で、安定への執着を捨てきれず、孤独に向き合う覚悟を持っていないということだ。

4年前、35歳の私は捨て身で渡米し無給のインターンになった。2年前、37歳の私は「えいや」で会社を辞めてフリーランスに転向した。日本だと一般的にはそろそろ安定を求めて守りに入る年齢と言われるタイミングで、私は勘を頼りにとにかく目に見えない流れに乗って、半ば自動的に大きな決断をしていた。

その後、フリーランス稼業は順調だ。当初はライターが本業だったのがいつのまにかローカライゼーションエディターがメインとなり、アメリカのテック企業の翻訳コンテンツをそのブランドやターゲットに合うよういい感じの日本語に編集するという仕事をしている。編集スキルがテック企業の役に立つなんて数年前までまったく想像もつかなかったことを考えると、人生本当にどう転ぶかわからない。そしてなぜか日本に帰ってきてからの方がアメリカ企業とご縁があるのも不思議だ。

こうして流れに乗ってそこそこ順調に進んでいる私だが、ここ最近はちょっとした揺り戻しが来ていた。もともと「枠からはみ出る」ことのリスクとなかなか向き合えずにきた私は、なんとか自分を枠に当てはめようと大学卒業後はみんなと同じように就職し、30歳になったら結婚し...と世間一般の幸せコースをなぞってきたという経緯がある。

今の私はとてもふらふらとした立場だ。仕事はフリーランスだし、配偶者も子供もいない。家も賃貸だ。毎月の収入は一定ではないし、同僚もいない。2年前、フリーランスを始めたばかりのころはそれで満足していたのだが、稼げるようになってくると今度はその稼ぎを守りたい気持ちがやってくる。そして「確かなもの」を求めて、事業を法人化して人を雇った方がよいのかなどと悩み始めるのだが、そもそも先のことを考えても仕方がない川下りタイプだと自分でわかっているので、先のことを考えること自体が嘘くさい。

そんなこんなで私は結局、自由でいたい反面、どこかに所属することで得られる安定感やつながりへの未練を捨てきれないところに収入を確保することへ執着も芽生えはじめ、その往生際の悪さからストレスを溜め込んでいた。しかし映画を観ている最中に気付いた。人生で確かなものを求めるとしたら、それは死ぬこと以外にないと。

映画のなかでは、主人公のファーンが安定した生活を手に入れるチャンスが何度か出てくる。素敵な家や家族のつながりが描かれたシーンは、バンでノマドライフを送るシーンとは対照的に温かみに溢れていてほっこりと落ち着いた気持ちになるし、「ファーンもこのままそこで暮らせばいいのに」とさえ思ってしまう。実際、私は実家や人の家などを訪問したとき、安定して居住することを前提とした設えを見ていつも羨ましい気持ちになる。

同時に感じるのは、自分にはそんな生活が訪れないことへの寂しさだ。そう、「私もあんな生活を手に入れたい」とはならない。結局、積極的にそうしたものを求めたいわけではないのだ。かつてそうした生活を築くチャンスを放棄したのは他ならぬ私である。身軽に動けなくなるものを手に入れることが、私にはとても怖い。

映画のなかで温かな屋根の下に住むよう申し出を受けても拒み続けるファーンを見て、私は目の前の心細さに囚われて自分の本質を見失っていたことに気が付いた。一度すべてを失った彼女は、人間の作り上げるものに安定などないことをわかっているからこそ、自分の幸せが所属や「安定」とされる生活のなかにはないと知っている。だからこそ、ファーンが砂漠の国立公園や、森のなか、荒い海辺など大自然のなかにいるシーンが際立つ。

私の心細さというのは、結局欲深さである。一度何かを手に入れると、それを失うまいとする欲が出てくる。それがわかっているからこそ、私は安定を手に入れられない。一度手に入れると今度は自分を縛ってしまうからだ。それはモノや立場だけではない。仕事が順調だという喜ばしい状態にさえ、私は縛られている。

人生の転機となった4年前と2年前、私はもっと身軽だった。失うものはないと新たな世界に飛び込み、今より稼ぎは少なかったけど今より満たされていた。あの頃のように、再び不確かさを楽しめるようになるにはどうすればよいのか、今それを考え続けている。

Photo by Jack Anstey on Unsplash

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集