②律令国家の形成2-2
2.律令国家の成立
白鳳文化
天武・持統天皇の時代には、律令国家が形成する時代の動きを反映して、清新な文化が起こった。7世紀後半から8世紀初頭にかけての貴族を中心とする文化を白鳳文化と言う。
天武天皇は、皇室の祖先神としての伊勢神宮をはじめとする神社の祭りを重んじたが、仏教も厚く信仰して、大官大寺・薬師寺❶などの官位の大寺院を建立し、また金光明経などの護国の経典を重んじた。
朝廷が仏教の普及につとめたため、諸国にも軍司などの手による寺院が建てられた。このように仏教が国家の保護を受けて発展した反面、寺院や僧侶は国家の厳しい監督の元に置かれるようになった。
この時代には、唐との交渉によって中国文化が直接に流入する道が開けたので、美術にも初唐の文化の影響が見られる。興福寺仏頭などの金銅像はその代表的な作品で、人間的な若々しさに溢れている。1949(昭和24)年に焼損した法隆寺金堂壁画や1972(昭和47)年に発見された高松塚古墳の壁画❷もこの時代のもので、特に法隆寺の壁画は、インド・中国の様式を取り入れたスケールの大きい画風を表している。
白村江の戦いの後、百済からは中国的な教養を身につけた多くの王族・貴族たちが日本に渡ってきた。その影響もあって、天智天皇の時代以降になると、宮廷では漢詩文を作ることが盛んに行われ、大津皇子らが優れた作品を残した。また、日本古来の歌謡から発達した和歌も漢詩の影響を受けて五音七音を基本とする長歌・短歌などの詩型が定まり、この時期には、柿本人麻呂・額田王の歌人によって、心情を素直に表現し、人々の心を強く打つ作品が作られた❶。
主な建築・美術作品
建築
彫刻
絵画
高松塚古墳の石室内
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