緊縛論考 〜我々は何故縛るのか?〜感想(ver.ゆな)
ひとまず忘備録的に。
告知後に枠がすぐ埋まり、来たいのに来れない方も多かったと聞いていますので、雰囲気だけでも知ってもらえたらと思って書きました。
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本記事には成人向けコンテンツ(緊縛,SM)が含まれます。
未成年の方は閲覧しないでください。
成人向けコンテンツの扱いと未成年への対応に関する私見は、こちらの記事にまとめています。
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参加者のプライバシーに配慮するため、このイベント内の発言の外部メディアへの掲載は不可とのことでした。
このため、本noteでは『主催者側の誘導によって議論されたテーマ』(私の理解ではここまではセーフ)、それに対する『個人的な考え・感想』のみを記述します。
途中発言していたり集中力が途切れたりでメモがなく、抜けているテーマもあると思います。
うまくぼやかして、プライバシーを侵さず雰囲気を知れるラインを攻めたつもりです。
万が一問題があればすぐに記事を削除しますので、お手数ですがX(旧twitter)のID:uni_yunaNyanまでご連絡いただければ幸いです。
全体を通した考察
偏見の塊だが、
受け手=(比較的)感受性が高く思考力が低い
縛り手=(比較的)感受性が低く思考力が高い
と仮定する。
これは縄の感覚を受容する上では感受性が重要で、むしろ思考力は邪魔になりうるのではないか、また縛る上で思考力は必要不可欠だと発想したことから。
感受性の高いタイプの人間(→受け手と仮定)は、感受性が高いゆえに自身の課題によって引き起こされる状況に負の感情を抱くことが多いのではないか。
(これは辛い状態で、課題感としても大きく認識されそう)
この状態と、本イベントの”語り”アプローチがマッチした結果、セラピー的な効果が発生して受け手が良く語ったのではないか。
逆に、思考力が高いタイプの人間(→縛り手と仮定)は、自身の課題によって引き起こされる状況を思考的に処理し、感情面が揺さぶられることが少ない可能性がある。
この状況と本イベントの結論を出さないアプローチはマッチせず、またそもそも感情的な動きが存在していないので切迫した課題感も持っておらず、あまり語らなかったのではないか。
緊縛論考 〜我々は何故縛るのか?〜
登壇者
千明さん
X @yasashiichiaki
Instagram @art_of_chiaki
たかせ秦之助さん
X @snnsktks
Instagram @bakushitakase
進行方法
オープンダイアローグ形式
結論を出すことを目的としてはいない
議論ではないので、意見を言うのはなし、質問はOK
扱われたテーマと感想
①コミュニケーションを目的とした緊縛、コミュニケーションを主目的としない緊縛
個人的に考えたこと
どのような形態の緊縛であっても共通する要素として、受け手の拘束が挙げられる(多かれ少なかれ縄で縛っているわけなので)。
個人的には、縛り手さんがコミュニケーションを取ってくれることが好きで、それが縄を受けたい主な理由の一つである。しかし、どこに重きを置くかによってコミュニケーションに限局しない様々な緊縛の形態がありうる。
また、コミュニケーションを目的とする緊縛であったとしても、縛り手・受け手双方の習熟度等によってコミュニケーションの成立度合いは変わってきそう。
感想
- 私の考えが足りていなかったこと
全体的にコミュニケーション自体の解像度(方向性、種類、など)
- コミュニケーションの種類・言語との対比、思いつきもしなかった!すごい!
- 非言語コミュニケーションと比較した場合どうなるかな?
②コミュニケーションを目的とした緊縛が行われる理由
個人的に考えたこと
私にとって緊縛において行われるコミュニケーションは、
いわゆる”普通の”コミュニケーションから苦手な要素を排除して、好きなコミュニケーションが追加されてる (私はコミュ障ゆえ…)
他者と精神的に繋がりたい欲は普通以上にあって何なら飢えているが、一度自分の領域に入れた相手から精神・肉体攻撃をくらうのが怖いので、安全なコミュニケーションとして緊縛を受けている(反論ありそう)
感想
- ロールプレイ性の貢献、考えもしなかった!すごい!
- 私が味わっている(と思っている)緊縛におけるコミュニケーションって、本当は何物なんだろな
③愛着やコミュニケーションにおける課題を背景にした緊縛以外の選択肢
個人的に考えたこと
(参加者の方の見解が混じってしまっている可能性が高い、問題あれば削除します)
- 愛着問題は緊縛のセラピー的性質で何とかなる可能性があるけれど、コミュニケーションの課題に対しては緊縛は根本的解決策にならない
(コミュニケーションの課題は、コミュニケーションにおける障害を取り除くことでしか解決できないと思う。また、ここで言っている愛着は用語して正確な使用方法でない可能性がある)
- 緊縛に頼って生き延びるのはアリだけど、その根底にある自分の課題は認識しておいた方が良い
(これが、いわゆるメタ認知ってやつ…?)
- 私はSNSとかなくなっても縄すると思う
感想
- 緊縛しなくて満たされるのなら、リスクを犯して緊縛する必要はない
- とはいえ、人と緊縛レベルで繋がるコミュ力ってどうやったら手に入るんだ
④我々は何故縛られるのか
個人的に考えたこと
私は、緊縛という枠内において相手を信頼できると認識し、身体を預け、精神的にも解放されるために縛られている(たぶん)
これを可能にする活動が緊縛以外にもある可能性はあるが、人間は想定外の動きをするため怖かったり(突然怒ったり人格否定してきたり暴力振るったり)、言語コミュニケーションには高度なスキルが必要であったりするなどの理由から、局所最適解として緊縛を選んで楽しんでいる。
(当初はSMプレイの中で拘束や苦痛を加えるものとしての緊縛を楽しんでいたが、今は違う)
感想
- 何人か受け手が発言した。感情的な要素もあり、みんな色々あってしんどそうと思った
- もはや縛り手ってセラピスト。縛るのって大変なだけで何も楽しくないんじゃなかろうか。
- でも、縛り手って大変だなぁ、と思いつつ私は現状のまま縄を受け続けると思う。それくらい緊縛って中毒性が高いし、それでしか満たされないものに飢えすぎている
- 受け手は、欲求の根源が何なのかという自覚は割とある感じがした
⑤我々は何故縛るのか
感想
- みんな頭脳派でこねこねしててすごい
- 欲求の根源的な話より、成り行き的な話が多め?
- そもそも感情的な要因はないのかもしれないな
⑥みんなの中にある箱
個人的に考えたこと
- なぜ縛られるのか、理由を考えるとその奥底の方に箱があるって感覚は分かる。
私の場合何となく内容物は分かっているつもりだけど、その中身に感情的に向き合おうとすると希死念慮に殺されそうになるのでパッケージとして丸ごと処理してる。
(パッケージとして処理後、なぜ縛られるのか、という理由を考えることは可能)
- 今回のイベントで立てた仮説に沿っていけば、感受性ゼロにして感情を動かさずに箱の中身を素早く処理すれば何とかなる気もする
補足
- 用語解説:箱 (私個人の理解、違ってたらすまん)
人間が意識下に抱え込んだ、自分の欲求や行動、価値観に影響を与える大きな出来事やそれに対する感情。
普段は封じ込められていて意識に上ることはないが、人によっては箱に対する感情やそれらの矛盾がしこりになって残ってしまい、向き合うことに大変な労力を必要とする場合がある。
外的な要因によって、あるいは自らの人生を総括するタイミングで、そのしこりとの向き合いが必要となることがある。
- 用語解説:箱おぢ(箱おじ、箱おじさん) (私個人の理解、違ってたらすまん)
箱を開けることなく、あるいは箱の存在を認識することすらなく、大事に抱えているおじさんのこと。
人によってはその姿がいじらしく、愛しく感じられる。
(これはn=1だが)家庭を持つ父親が箱を開けるときには、妻や子供が付き合わされ、疲弊することがある。
感想
- 箱がどういう流れで出てきた単語だったのか忘れてしまったので、共通言語としての箱が何だったのか分からなくなってしまった
- 箱おぢ、私は別に可愛いとか思わないタイプ
- というより、個人的な怨念の問題…?
箱の開示に付き合わされた経験があり、それが愛憎ぐちゃぐちゃ複雑感情の相手だったので、そのとき果たせなかった恨みを似た相手にぶつけたくなっちゃってるのかも。
箱を大事に抱えて頑なに開示しようとしないおぢを前にすると自分でもコントロールできない猛烈な負の感情が湧き上がってくるのを感じる。
急いで蓋をする。理由のない怒りや嫌悪感を感じたら一回落ち着こう自分。
総じての感想
何故我々は縛るのか?というテーマの会だったので、そもそも受け手99.9%の私はお呼びではない存在だと思った
もっと縛り手の意見を聞きたかったけれど、どうすれば良いか分からなかった
視座の低さ、理解度の低さ、知識不足、考えの至らなさ、何もかもがとてもとても悔しい。もっと知りたい。もっと見えるようになりたい。
箱
次回もぜひ参加したい
箱
でもまぁとりあえず全部置いておいて、縄受けるのって楽しいよねっ♡