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やらないこと
“自分ルール”というものがある。
自分の中で「これはやるぞ」と決めたルールだ。誰かに言われて始めるわけではない。理想の自分になりたいために作る。
ルールは自分で好きなように作る。
誰にでも自分が決めたルールがいくつかあってそのルールに従って日々生活をしている。
100人いれば100通りの実にさまざまなルールがあると思う。やると決めたからにはルールを守りたい。毎日のルールは山のようにある。ルールを破らずクリアした時の達成感は自信にも繋がるはずだ。
僕にもいくつかルールがある。
それはしないことをする。
やりたいことを決めて実行するのは結構体力が必要なため、例えば実行できなかった時の気分の落ち込みによる精神的なダメージは大きい。
人によっては(生まれ持った性質や気質は人の大きなウェイトを占めている)実行できなかった自分を責めてしまう人もいるので、やりたいことをするのは結構ハードルが高いように思えてしまう。
なので、しないことをするほうが達成しやすいし、できなかったとしてもそれで良しとする。できなかった自分を許す。できなくていい。責めない。
例えば。
1,気にしすぎない
2,空気を感じすぎない
3,顔色を伺わない
4,敏感に感じ取らない
5,愚痴、不平不満は言わない
6,無意味なマウントは取らない
7,人の話は遮らない
8,怒らない
9,自分の話ばかりしない
10,自分を責めない
11,求めない、期待しない
12,他人の悪口を言わない
13,人の言動、人目を気にしない
14,考えすぎない
15,否定しない
細かく書き出せばまだ結構あるのでこれくらいで。たくさんありますがこれは僕がやらないこと。
内面と向き合う系が多い。生活音や大きな音が苦手だったり、ものごとを敏感に感じ取ってしまう性質がある。
自分の内面と向き合うのは人生の修行だと思っている。特にこれと言って気にしなくてもいいことを、敏感に感じ取り、些細なこと考えすぎて生きてきた。他人からみればどうでもいいことだが、その人にとっては重大な問題だ。僕は過剰なまでに気にしいということだ。
年齢もある程度重ねて、いい大人になった今は割とマシになってきた 笑
でも時々、思考はノイズ的になる。
理想の自分という幻
“やりたいこと”を書き出すのは理想の自分になりたいという願いだ。紙にズラーっと書き出せば一見、充実しているように思うが実はこれは幻想だ。したいことは「自分探しの旅」みたいに都合のいい自分を作り上げてしまう。探しに行くのは本来の自分を見失ってしまう旅だ。
逆に“やらないこと”をするのはその人の本質に近づくことできる。上にも書いたように、“やらないこと”を見つめてみれば自分らしい生き方ができるのではないかと思う。つまり“自分らしさ”とは余計なものを捨てている状態だと思う。
「捨」という言葉は仏教において大切なあり方のひとつだ。捨てる、手放すことで手に入るものがある。
自分にとって必要なものを足し算していくのではなく、自分にとって不必要なものを引き算をしていく。「自分失くし」をすることで本当の自分の姿が見えてくるのではないだろうか。
引き算には美学がある。
大きく見せることなく、気取らず、頑張りすぎない。世の中にはノウハウがたくさんあるが、その方法が自分には合ってない場合も大いにある。世界はやりたいこと、やらなければいけないことが呪いのように溢れていてとても疲れる。
本当にやりたいことのために、やらないことをする。自分が自分でいられるために僕はしないことをする。
心を軽やかに。
生活に余白を。
できないことや、やりたくないこと、やらないことがあっていいじゃないか。もうそろそろ「〇〇しなければいけない」から解放されよう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。また更新します。
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