刃物でケガをした後、「痛かった」以上に想ったコト
(2020年6月のメルマガより抜粋)
今週から6月がスタートしました!子どもたちの分散登校も始まりました!
ようやくママたちにも(まだほんのちょっとの時間かもしれませんが)1人時間がもたらされるようになりましたネ!
本当にお疲れ様でした!(いや、まだ終わったとかではないかと思いますが・・・^^)
毎日3食の食事の用意・片付け・・・子どもの家庭学習のフォロー・・・外出できないストレス・・・5月に母の日があったとはいえ、我が家のようにフツーの日曜日だった家庭もあったかと思うと、本当に私たち「母たち」に
『よく頑張った!!!』とねぎらいの言葉をかけてあげたいと思います。
(今、胎の底からねぎらいの言葉を贈りました)
そうそう、そんな最近、「ながら」で聴ける音声配信を始めてみました☆
まだまだ始めたばかりで、好きなことをしゃべってるだけですが、何かしながら気軽に流してくださいませ。
さて、先週、愛用しているフードプロセッサーを洗っている時、刃でちょこっとケガをしました。
多分大したケガでなかったと思うのですが、私は血がニガテなもので、フラフラして家の廊下で倒れ込んでしまいました。
本当はその日の午前中に色んな用事を済ませたくて、それでスピーディに行動していたつもりだったのですが、それが仇となって午前中はひとまず横になって休むことになり、やりたかったことの半分くらいしかできませんでした。
でもどんな出来事も、認知(解釈)の仕方で見え方はさまざまで☆(アドラー心理学でいう「認知論」ですね)
あとになると、この出来事が自分に色んなコトを教えてくれていたと気づきました。
そのひとつが、「ひとつひとつ丁寧に生きよう」
最近、オンデマンド講座で食について学んでいるのですが、その講師の方の
所作が非常に丁寧で、食材に対する関わり方もひとつひとつ大事にしていて、「あぁ、こういうのいいなぁ」と、HPのサンプル動画を見てこの方の雰囲気・在り方を感じて直感で講座を申込みました。
逆にいうと、今の自分は時間に追われて、パタパタと焦ってることが多いのかもなぁ~と。
だからこそ、こういうケガを通して食材のみならず、道具ひとつ、食器ひとつ、丁寧にこころを込めて、関わることの大切さを学んだ気がしました。
もちろん、母として妻として、家族のために自分のために忙しく動いていく毎日の中で、優雅さばかり追求できるわけでもないのですけどね。
それ以降、刃物を扱う時はもちろん、食器を片付ける時、野菜を扱う時にも
ひと呼吸おくようになりました。
このように、何かネガティブな出来事があったとしても、それをどう捉えるかは自分次第。自分で選ぶことができます。
その出来事の渦中にいる時はどうしようもなくても、後からでも、そんな自分の状況に「気付く」ことが大切。
自分の状況に気付けるほど、少し離れたところから自分を眺められるようになると、どんなことが起きてもすべてが糧となりますから。
すぐに完璧に出来なくても、少しずつそのトレーニングをしていくと、自分の状況を客観的に眺めて気付くまでの時間が短くなっていきます。
実際、湯本が関わらせて頂いている方々は、気付くまでの時間がドンドン短くなっているのに驚かされます。
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すべての出来事を自分の糧にしていこう
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死ぬとき後悔しない「最高な人生だった」と言える毎日を今から一緒に創っていきませんか?
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