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悩みの核が見えた日

変わり映えのない日々だけど、今日も土曜日に引き続き、ジムとカフェ勉強に行ってきた。ジムではなぜ今仕事のことでこんなに悩んでいるのか、分かった気がしたので、今日はそのことについて記す。

ジムとカフェ(変わり映えのない一休日)

重い腰を上げてジムへ

朝起きて、ご飯を食べ、ゆっくりしてからジムへ向かう。「健康カウンセリング」を経て、1月から通い始めた。ジムには、週2回、金曜と日曜に通っている。先週は金曜日に行けなかったので、土曜日と月曜日になった。金曜は残業のため行けなかったのである。
ジムでは、マシンで筋トレと20分のランニングをする。

ジムに1ヶ月半通ってみて

約1ヶ月半ジムに通い、20分のランニングが楽にできるようになってきた。自分で言うのもなんだけど、姿勢良く最後まで走れるようになった。30分くらい走れそう。増やしてみようかと思うくらい。
筋トレは、だんだん負荷を増やしたり、数をこなせるようになってきた。2セットから3セットに増やした。今までは2セットでもきつかったのだ。

体組成計の数字には表れているような、いないような。毎回脂肪、筋肉ともに増したり減ったりしている。体重も毎回違う。けれど、上記の通り体力がついてきたと感じる。それだけで通っている意味はあるけれど、やはり筋肉がもっと増えてくるといいなと思っている。ジムのスタッフに悩みを話すと、やはり日曜から金曜の間に5日間休むことで、筋肉が元に戻ってしまうということらしい。なら、週半ばにも通うか?と話していたけど、遠方で働きながら週半ばにも通うのはさすがにきついのよな。それならば家で筋トレする?という話にもなったけど、家筋トレはやらないと思う。ジムに行ったら仕方なくやるけど、家はあまりにも「休む場所」すぎる。どうしてもなら、プランク復活させるかなあ。悩むのである。プランクはかつてやっていた。

ジムの後カフェへ

ジムの後着替えて、カフェへ。チーズケーキとカフェラテLサイズ。ラテアートが下手くそすぎて驚いたのだが、カフェの雰囲気がとてもよく、リフレッシュになった。カフェの経営は大丈夫か?と思ってしまうくらい、皆、一杯のドリンクで粘りに粘っていた。空のドリンクをそばに置きながら、ひたすら勉強をしていた。だから、私も自然に勉強する気分になる。
おととい一通り教科書も終わり、今日は二周目に入った。試験は受かりそうであり、ほっとする。
カフェ時間に素敵なnoteの記事に出会う。ASDの特性がこの世の中を生きるのに、役に立つという内容で、私も同じような特性があるので、とても心強く、嬉しく、感動的だった。ついついコメントして、コメントを返してもらい喜ぶ。こういうnoteでの温かい気持ちの交換が、心を補強してくれる。

仕事についての悩みの核を見つけたこと

ジムでトレーニングした後、ストレッチ中に床で伸びてたら、ふと、ひらめいた。今の仕事の悩みの核が分かったような気がしたのだ。

大前提として、私は今の課長を全く好きではない。課長は私の直接の上司である。でも彼の人間性がなんとも好きになれなくて、全く好きになれない。ここには書けないような、ひどいあだ名をつけれるくらいには嫌っている。

I係長のこと

今回新しい仕事のシステムのデザインを請け負ったのは、課長のためじゃなく、I係長のためだ。私はI係長の下で働いている。それは組織としてということではなく(係長という名前ではあるが、係はない)、実質的に彼の業務のうち、事務作業を請け負っている部分が多いのである。彼の元で働いているようなものである。ところがI係長はずっと転職活動をしていて、一説によると4月にはいなくなってしまうという。本人に聞いたら、まだ決まっていないとのことだけど、いつか転職してしまう。

そうなった時に、私は誰の役に立ちたくて働くのだろう?どこにモチベーションを持っていたらいいのだろう?彼/彼女がいなくなったら私が障害者雇用だと意識して一緒に働いてくれる人は(だからこそたまには守ってくれる人は)いるのだろうか?こういうことで悩んでいるのだ。

I係長のことが私は好きなのだということに気づく。それは、たぶん異性/同性という要素には関わらず。皆に対して平等な態度とか、周りを見て行動できるところ、文章力やコミュニケーション能力を尊敬している。それに加えて会社に対する批判的な目を持っていること。私は批判的な目を持っている人が好きで、一方、盲目的な組織人間を嫌っている。組織(周り)のために努めても、組織に安易に染まらないことが大事だと思っている。

I係長が初めて私のチームに来た時、とにかくおしゃべりなので、かなり驚いた。当時の課長に「仕事に集中できない」と相談したほど。だけど、そのおかげで周りが明るくなることが分ってきて、そのおしゃべりはサービス精神の一環でもあるのだと思うようになった。ただし本人が楽しんでいるという面ももちろんある。だけど、実際、I係長が外出していて、一日話すことができないと、つまらないと思うほどになってしまった。

そして最近、残業しているとI係長が他の仕事をしながら待っていてくれることが分かった。I係長は割と古風な人間なので、自分の部下が自分より遅く帰ることを許さないようなのだ。残業はしないという大前提の元働いている契約社員・障害者雇用にとって、残業はなんだか心細く、辛い、そして申し訳ないような気持ちになってしまうものなのだけど、彼/彼女が待っていてくれるので、頑張れる。こんな具合で最近残業が何度かあったのだけど、I係長の古風な心意気が温かく感じるようになってしまっている。こそばゆいような感じなのだ。優しさって、自分に対して使ってくれる時間なのではないか、と錯覚するくらいに。
というわけで、I係長に懐いていくような日々なので、もしいなくなったらという「予期不安」でどうしようもなくなっているようなのである。

でも、こう考えてみる。
I係長がいなくなることはまだ分からない。転職活動がうまくいかないことだってある、だからやたらと「4月にいなくなる」と思わないようにしよう。
そして私はI係長のために働いているわけではない。自分のため、子どものために働いているのである。だから誰のためにとか考えなくてもいいのだ。ただ、お給料をもらって子供や自分に使うことだけが目的である。そこは認識し直さなくてはいけない。

その上で、実際のところ、私が障害者だと「分かって・配慮して」くれているのは、チームでI係長だけである。だから、どうしてもI係長のいない職場が嫌になったら、やめればいい。別の職場を探せばいい。しばらく勉強してもいい。I係長がいなくても続けていけるように、今から気をつけることもできるはずだ。

明日から気をつけること

残業するたびに、弱った心にI係長の優しさが沁みて、どんどん彼/彼女の不在を想像して不安になってしまうので、残業はもうやめる。朝から頑張って、できるだけやって、定時になったら残業はしないで帰る。その方が自分の心が「まっすぐ」でいられる、自分を大事にできるように思うから。


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