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違和感を持ち続ける

数日前、全8回のオンライン読書会が終わった。毎回、先生から本の内容に即した問いの投げかけがあり、ブレイクアウトルームで少人数で意見を交わし合う時間が持たれて、それが自分にとって大きな癒しの場になっていたので、終わっちゃってどうなるんだろうという不安も感じている。

対面での「おはようございます」や「お疲れさまです」と言った挨拶だったり、メールでの「いつもお世話になっております」は、特に言葉自体に意味はなくても、誰かと誰かが接する時に予測できる行動をお互いが取ることで、存在を認め合うことができる行動で、それを「投射」と呼ぶらしい。

投射には予測可能なパターンを超えて、あえて違った行動を取るパターンもある。例えば同僚に挨拶だけじゃなくて、ちょっと踏み込んだ話題を振ってみたりするような。それはどう転ぶかわからない。より仲良くなれるようないい方向に行くこともあれば、この人とは関わりたくないと修復不可能な関係に陥ることもあり得る。

その流れで問いかけられたのは、規則の枠を超えて投射をした経験とその結果どうだったかということだ。上手くいかないことが多いので、リスクを恐れてそのまま、なかったことにすることを選ぶ人が多いと。

枠を超えた投射、すぐに例が思いつかなかったが、思い返せば公私共にたくさんある。安定した関係性を壊したいわけではなく、もっとこうしたほうがよくないかと信じての行動だけど、仕事の場面では明らかに上手くいかない方が多い。寝た子は起こすな?なのか、仕事増やすな、いらんこと言うなという圧力がすごい。

面倒なことはなかったことにして、自分は何も気づかなかったことにすることが耐え難いのだなと、学びを通して理解できた。いろいろ考えると、今の環境は合ってないよね、が積み重なっていく。

オンライン講座の他の受講生の投射体験は、自分だけじゃなくて誰かが理不尽な目に遭っているのが許せなくて行動する人が多くて、そう言う人が集まっている場だから心地よいのだなと気づくことができた。

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