【小説レビュー】『荒地の家族』佐藤厚志
話題の芥川賞受賞作『東京都同情塔』もこの後読むつもりなのだけど、その前に偶然見つけた過去の受賞作『荒地の家族』を読んだ。芥川賞作品は話題になりやすく、分量が少なくてすぐ読めるという初心者フレンドリーな面もあるが、文学性重視で退屈な印象を与えそうで必ずしも初心者向けではないなぁと思う。
ひとことで言えば、不幸からゆっくり立ち直っていく男の物語だ。スッキリと立ち直りました!という爽快な物語ではく、主人公の周りで色々なことが起こっても主人公の変化はゆるやかだ。でも、このゆるやかさがリアルだ。
紹介文などにも書かれている事だし、ちょっとこれをネタバレせずにレビューを書くことはできないので言ってしまうけど、この本は「震災小説」と言われている。確かに震災を扱った小説ではあるが、むしろ誰にでも起こり得る不幸を扱っている印象がある。主人公を取り巻く不幸は、震災は遠因ではあるが誰もが陥る可能性のある不幸だ。もちろん主人公も含めて登場人物たちの人生は震災で大きく変化しているし、街の様子なども以前とは変わってしまっている。そういう取り巻くものすべてが傷つき壊された後にしかない空気ももちろんある。しかし震災に限らず、一生懸命頑張っているのにどうにもできない不幸があって、まわりも同じようにそれぞれの不幸を抱えていっぱいいっぱいで、街はどんどん寂れていってという、震災がなくても同じように不幸を抱えている人がたくさんいる。そういう人たちも共感できる物語を震災小説と枠を狭めてしまうのも勿体ないような気がする。被災していない人間がそんな事を言うのは失礼にあたるのかもしれないけど。
読んでいると、映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を思い起こさせた。この映画も、男が過去の不幸からゆっくり立ち直っていく、立ち直ったとは言い切れないが少し希望が見える素晴らしい映画だ。大きな不幸を乗り越えるには自分が変わらなければいけない。人間が変わるには時間が掛かるし気づきが必要だ。誰かの助けがいるし、それと同じくらい誰かを助ける必要もある。
この本の中では、震災やその他の不幸を直接的な言葉で表現しない。それは、その言葉を使いたくないという作者もしくは主人公の拘りなのだろう。それはわかるのだけど、個人的にはまわりくどくて気になる。直接言いたくないならそうするための工夫をするべきた。毎回同じ婉曲表現で、単語ですむ話をそれより長い言葉で表現するのは、なんでもない直線を走っているのにブレーキを踏まれるような気分になった。そして、ずっと口にできなかった言葉を口にすることで震災を乗り越えた事を表現するなどの効果があれば必要な表現だったと思えるのだけど、そういう事も特になく終わった。
最終盤に、烏鳥屋山という地元の小山が出てくるのだけど、個人的には作中に二、三度出しておいて印象づけておいてほしかった。この小山こそがこの物語の象徴のひとつだったのだろうし、突然出てきて終わる通行人扱いではなくちゃんとキャストとして存在させておいて欲しかったと思う。
最後のオチは唐突でよくわからなかった。それまでのテイストと違いすぎて、あれはちょっと失敗だったのではと思う。もちろん強い拘りでああなったのだろうけど。
この本、作者にそういう意思はないのだろうけどちょっとハードボイルドテイストな雰囲気を感じてしまって、だから気に入って読めたところがあった。佐藤厚志さん、ハードボイルド書いてくれないだろうか。
『荒地の家族』 2.5
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