お金を借りる 〜第9話〜
【前回の記事】
【資金調達】
資金調達に関して私は疎いのでどの方法が最善なのかはお伝えできないが、私の体験談を書きたいと思う。6年前以上の話だ。現在はもっと別の選択肢が増えているなと感じるし、まぁ、一例だと思って読んで頂きたい。
【日本政策金融公庫】
資金調達の方法はいくつかあると思うが、私は銀行や公的機関から融資を受ける事にした。1番スタンダードな方法だと思うし、飲食店を経営する諸先輩方も「国金から借りるのが無難」だとアドバイスしてくれた。
国金とは国民生活金融公庫の略で2008年に名称が変わり、現在では日本政策金融公庫である。だが当時はまだ国金や旧国金と呼ぶ人が多かった。今はどうなんだろうか?
【必要書類】
詳細は⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎
・こんなものも必要なのか!?
実際に融資の相談に行ってみて、提出が必要な証明書の多さには驚いた。初めて知った物もあった、例えば戸籍謄本全部記載みたいなもの。こんなのがあるんだ〜と思った。
その他に家賃や水光熱費の支払いを毎月しっかり行っているかを証明する為だと思うが、支払い履歴や領収書の提出が必要な事にも驚いた。自宅の不動産屋に頼んで家賃の支払い証明書だか履歴だかを発行してもらったのを覚えている。水光熱費に関しては引き落としだったので、預金通帳のコピーで対応したような気がする。
あと印鑑証明、この時に初めて取得した。
証明書を取得する為、役所に行ったり不動産屋に連絡したり…まぁまぁ面倒くさい。だが、これは集めてしまえば済む話で億劫ではあるが難しくはなかった。
あとこれは習慣的な話だが、税金(もしかすると保険料や年金も)を滞納してると融資を受けずらくなるそうだ。なので、申し込みの前に市役所等で過去に払い忘れが無いか確認しておいた方が良い。実際、私は地元の茨城に未納の住民税があったのが見つかり納め直した。1ヶ月分だけだが、引越しか何かが理由で払込用紙が届いておらず未納になっていたらしい。(延滞金がすごい付いてたけど、事情を話したら帳消しにしてくれた!)
【事業計画書】
提出書類の中で制作に時間がかかるのは事業計画書だ。立ち上げる事業の内容に関しては始めの頃に書いたので省くとして、今回は特に収支計画の部分について。
この時、私の貯金額は400万。そして貯金額の倍の金額程度の融資は受けやすいよと先輩方から教えてもらっていた。なので借入の希望金額は800万円。それらを足した1200万を予算にし収支計画を書いた。
私が提出した収支計画はこのサイトに書かれているものよりだいぶシンプル。内容は…
①開業までに必要な全経費
②開業後の売り上げ計画
①は見開き2ページ、②は見開き1ページくらい。収支計画書とは起業に〇〇円必要なので、この金額の借り入れが必要だ!と訴えるもの。その金額の根拠となる書類の添付が必要だ。それは例えば店舗の賃貸借契約書や内装業者の見積書である。その他に高い機材の場合は値段が記載されてるカタログなども必要らしい。
・1200万円の内訳
①は840万円、残りの360万は運転資金として計上した。
840万の内訳だが、まずお店の賃貸借契約の為に約200万円。詳細は保証金(敷金)が100万、2ヶ月分の前家賃、家賃補償の保険料が家賃の8割、礼金とその他手数料など。
内装工事の費用で450万。私は居抜き物件で開業した為、内装費を低く抑えられた。冷蔵庫などの大型機材も内装業者が請け負ってくれたので、ここに含まれている。
あと倉庫兼事務所を店舗とは別に借りていたのでその敷金や家賃が40万。
残りの150万円は食器や消耗品、お酒や食材のためのお金。ここは業者の見積書は必要なく、こんなもんだろ!と適当に見積もった笑 大皿1000円✖️10枚、小皿300円✖️30枚…エクセルで表にして添付した。
・売り上げ計画
②の売り上げ計画だが、月々の売り上げ高と諸経費の予測を立て損益計算したものだ。ここで大切なのは借入金返済の能力がある事の証明。きちんと利益が出るような計画にする。
私は自営業者として開業した。自営業なので帳簿上でた利益の額がそのまま私の収入になるのだが、利益は月35万円程出来るような計画にした。利益額は私が生活をして、納税して、そして借入金の返済が継続的に可能な額である事が大事だ。
まず売り上げの予測だが、店内の設計図の席数と回転率と単価を掛け算して算出する。
例えば…ランチの売り上げ。席数は10席で回転率は3回転、合計30名のお客様が来てくれる。客単価は1人千円なので、1日3万円の売り上げ。
ディナーは客席10席で回転率は1.5回転、客単価は3500円。なので1日5万円程度の売り上げ。
合わせて1日あたり8万円の売り上げで、営業日は平日、毎月20営業日あるので8万✖️20日=160万円(1ヶ月)の売り上げが見込める。簡単に言うとこんな感じ。ディナーの売り上げは曜日によって変わるので、その変化を入れても良いかも。
あとはここから毎月の必要経費の額を割り出し、引き算して純利益を計算する。
⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎詳しくは⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎
・運転資金
飲食業界で開業時に必要な運転資金は固定費の6ヶ月分などと言われている。固定費には家賃や人件費など、売り上げに関係なく毎月出ていく金額だ。
金額的なことは以上。
【保証人について】
お金を借りる時に保証人が必要な場合と要らない場合があるが、基本的には保証人を付けた方が借りやすい。
私の場合は、昔お世話になったお店のオーナーと母親の2人に保証人になってもらった。これに関して、飲食の先輩からアドバイス頂いたことがあった。それは、親戚から一人と社会的に信頼がある人を一人、保証人に付けたらほぼ間違えなくお金を借りられるよってことだった。
そうする事で、私自身が社会的に信頼関係を築いて、親戚や信頼の応援も受けている証になるからだそうだ。このアドバイスに従い、無事に借りる事ができた。(このアドバイスが本当に正しいかは分かりません。)
・若者支援的なやつ
私が無事お金を借りられた要因はいくつかあって。そもそも借入金額が1000万円以下で少額なこと、貯金があったこと、保証人を付けたこと、使い道が飲食業だったこと…などなのだが、もう一つ年齢と性別も関係していた。
私はこの制度を利用して融資を受けることができた。
(今思い出したが、借用書を2枚作ったんだった。設備費用と運転資金は返済期限が違うので別にする必要があった。でも担当者さんが丁寧に説明してくれ、スムーズに契約することができた。)
・そう言えば…
金融公庫の説明を受ける前の話。私が勉強不足なだけなのだが、私は先にお金を借りてから、テナントのを探したり、内装業者と話したりするものだと思っていた。
だが公庫に融資の説明を受けに行き、手引書みたいな冊子をもらってよく読んだら、融資審査申し込みの時点では不動産屋とか内装業者との打ち合わせをある程度進めておかないといけないんだと知った。
え!?そうなの??マジかーって思った。
なので好みのテナントが見つかってからは急ピッチで資料作成したりする必要があった。
物件の仮抑えをしてもらいつつ、内装業者と話し合い。内装の見取り図と費用の見積書を作ってもらって、それを元に収支計画書を作成する。私はこれらをホテルの仕事しながらだったので、体力的にも辛かった。
物件の仮抑えができる期間も決まっていて、そこまでにやらないといけないってお尻を決められていたし。他の方が本契約してしまうって事だってある。とにかく時間との勝負だった。
この頃の行き当たりばったり感は凄かった!経験もなかったし、知識もなくて常に足りない物だらけ笑 ヒントを得ながら進めて行くRPGみたいだった。
【時期的な事】
2013年9月、私は29歳になった。この年の11月、貯金額は目標の400万近く出来きたので物件を探し始めた。不動産屋に出向きいくつかの物件を紹介してもらった。2軒目の内見で神田小川町の場所を見つけ、賃貸の申し込みを行った。11月半ばぐらいだったと思う。
そこからすぐに内装屋さんに連絡し、内装の見取り図と費用の見積書の作成を依頼。自宅では事業計画書の作成を行った。
12月の初頭、書類が全て揃い政策金融公庫へ融資の申し込みをした。12月30日の深夜、仕事から帰宅するとポストに融資審査の通知が入っていて、無事に審査を通過することができた。後日、金融公庫の担当者さんと話した時に、出来るだけ早く融資が下りるように努めてくださっていたと知った。なので、彼らの仕事納めの日に投函してくれていた。
その頃の私は赤坂のホテルの飲食部で働いていて、融資が無事通り独立する旨を上司に改めて伝え、1月いっぱいでホテルを退職することになった。
2014年、元旦。出勤前に初日の出をホテルの35階からみた。成功祈願。
1月中はホテルで働きつつ、賃貸の本契約や内装業者と打ち合わせを進めた。1月末に職場を退職し、2月から内装工事がいよいよスタート。2月いっぱいで内装工事が終わり、3月4日〜プレオープン。3月8日、円満の営業を開始した。
【まとめ】
まとめると私は自力で400万円を貯め、その2倍の800万円の融資を政策金融公庫から受けた。その際、保証人を身内とその他の方で一人づつになってもらった。私名義の資本100%で独立した。ちなみに返済は7年で月々10万程だった。
ご参考になれれば幸いです。
お金を貯めるための2年間はとにかく働いた。2年で400万円、絶対に貯まるんだ!と、ただひたすら前に進んだ。本当のことを書けば労基法違反になるだろうな。それはサナギのような時期だったと振り返っている。貯金が出来、物件を見つけてからはあっという間だった。それまでのスピード感とはまるで違い、あれよあれよと言う間にお店は出来上がって行った。
今考えれば、どこの準備が足りていなかったか良く分かる。だが初めての体験というとのはいつだってこんなもんだろう。全てがギリギリだったが、皆さんに支えられて無事乗り越えることができた。
・次回の記事について
私が起業したのは14年3月8日。日本経済のタイミング的に凄く良い時期だった。でも、神田小川町の地域経済としては引き潮の時だった。次の記事ではその辺りの事に触れていこうと思う。