見出し画像

自己紹介 大杉弓の歴史

昭和54年8月11日 イタリアローマ市にて生まれる

航空会社に務める父と年の離れた母との間に長女として誕生しました。

私の一番古い記憶は、バルコニーで食事の時に出される牛乳が大嫌いで、母の目を盗み排水溝へ捨てていました。

まだ妹が産まれていなかったので、多分2歳とか。この時から人に指図されるのが大嫌いでした。

3つ下の妹もうまれ、不自由な暮らしは無さそうでしたが、親との集団行動がただただストレスでした。

普段はイタリアの文化に触れながら過ごし、バカンスには陸続きだったイタリアからフランス、スイス、ドイツ、オーストリアなど父の運転する車に乗りながら旅をする日々。スイスの氷河は夏の遊び場、ドイツの古いお城では白鳥に餌をあげ、ソフトクリームを食べる。フランスのヴェルサイユ宮殿ではドレスを着せて貰い成長過程をカメラマンに撮影してもらう。 
そんな幼少期を過ごしました。

時は経ち日本に帰国。

ヨーロッパ時代とは違い、なかなか日本の教育に馴染めず、集団行動も出来ず、宿題をやらないのでいつも廊下に立たされる日々。小学校ではみんなお揃いのランドセルや帽子をかぶれずわざと忘れたり、宿題も見ないふり。食べたくない給食も試行錯誤して残す。幼い頃からピアノを習っていたのと、ヴァイオリンを得意としていたので中学からは某音楽大学の付属中学校へ進学。当時の父の赴任先がオーストリアのウイーンであったことから、日本とウィーンで半々過ごしながら、何とか卒業。
華やかな生活と思いきや、もうすでに全然楽しくない毎日だった。

高校はエスカレーター式だったのでそのまま高校1年生の1学期を迎えましたが、学校に行く意味が理解できず、自主退学。母に、流石に高校だけは卒業してほしいと言われ、某大学附属の通信制に通いましたが、1日で飽きる。

ただただ時間の無駄が嫌で「お金を作る」への興味ばかりありました。

毎日やりたい放題に過ごす16歳。そんなさなか、ヒョンなことから和菓子屋で修行するご縁をいただきました。学歴のない私を心配し、ある人が繋げてくれた初めてのご縁。そこで初めて「仕事」というものを知りました。
18歳の時にそろそろ就職をしようと思いましたが、なんせ学歴もなく、人の言うことも聞けないので履歴書すら書けずにいたところ、「お店を継がないか?」とお声がけをいただきそのまま店を引き継ぐことに。和菓子屋の道具、機械を売って貰うために国金、地方銀行から融資を受け、あっという間に開業です。和菓子屋の仕事を通じて「自分の意志でお金を稼ぐ楽しさ」を知りました。美味しいって幸せ、甘いって嬉しい。それはこの時に覚えた快楽でした。

中卒の私が常に掲げていたもの、それは、学歴がある大卒の人よりも収入は多くする。これだけを常に心に留めてただただ働きました。

大卒でも年収600万とかなんだと知ったのは3回目の歳下男子と結婚した時でした。

それでも優良物件だったと知ったのは今の夫と知り合った時。。。汗

18歳で1回目の結婚をしましたが、3ヶ月で離婚(笑)
20歳で2回目の結婚。しかし、相手の親、妹姉夫婦とも合わず、夜中にみんなが寝静まった頃、近所のファミマへ行き泣きながら何時間も物を食べ続ける日々に。家に帰りたくないから駐車場の車の中で朝を迎え、そのまま仕事。そんな暮らしが5年ほど続いた結果、ストレスから体重が115キロまで増えてしまいました。

そんな時、ある事がきっかけで「犬の飼い主のトレーニング」という新しい事業と出会う。

この時はじめてこの世にエコノミークラスという座席がある事を知るw父が航空会社勤務だったので、いつも飛行機はグランドクラスかファーストクラス。今は少なくなった2階がある飛行機だったので、下の階には荷物が乗っているのかと思っていました。

はじめて自分で飛行機のチケットをとり、乗ったオーストラリア行きのエコノミークラス。

隣の人が近すぎてただのストレスでした。

弁当箱みたいな機内食に愕然。

「世の中」を知り始めたのもこの頃。

この世には貧乏な人もいるのかもしれない。

オーストラリアでの貧富の差も結構衝撃でした。

オーストラリアでは、乗馬を習い、屋外でのバーベキューのーおいしさを知り、朝から晩までただただ楽しみました。

その私の楽しいの裏でいつも支えてサポートしてくれた、日本人の留学生の女の子。もう連絡もとれないけど、彼女に日給をお支払いしたときも喜んでいた顔は、生活、お金の稼ぐ大切さを思い知りました。

オーストラリアで食べたメレンゲのケーキは今でもダントツの思い出!

オーストラリアへ勉強に行き、新しい稼ぎ口を手に入れた私は当時の夫と一緒にいる意味も無いので離婚。離婚し、新しい生活をするために115キロから60キロまでダイエット成功。
この時のダイエット法は、「食べない」。
とにかく、カロリーとなるものを口に入れない。
ほんの少しのフルーツとキャベツとか、極端過ぎました。
未来の私が質的栄養失調で苦しむ第一歩でした。

劇的に痩せ、25歳からやりたい放題の人生が始まりました。
「お金は稼げて当たり前、女の子は可愛くて当たり前。世界は自分中心。」
この世に貧乏っているの?本気でそう思っておりました。


しかし、お肌は黒く、髪の毛はパサパサ、シワがあり、ほうれい線は深くなり、美容クリニックに通いヒアルロン酸注入に依存していた頃。
その頃、ストレスから、ついに体を壊し、摂食嘔吐が始まりました。1日10回くらい、食べて吐いてを繰り返す。
眠れず精神科に通い、睡眠導入剤を飲み始める。
ただ、若かったせいか、そんな生活が続いても一見すっごく元気そうではあったけど、体重は45キロまで一気に減る。

仕事が生きがいだったので、和菓子屋と犬の躾の仕事、2つを回しながら32歳になりました。

中型免許を取ってすぐに出逢った、それは美しい真っ白なバイク。

大型免許持ってないけど購入。一目惚れでした。背が低いので足も届かない、手も短すぎる。どうにか解決をするために、厚底ブーツを探して、いざ納車。

楽しくて楽しくてしょうがなかった毎日。美しいバイクに派手なヘルメット。ジーパンにキャミソールでアクセル全開で関越を走り、危険運転で警察に捕まるw

バイクの仲間もできて仕事も順調でとにかく楽しい思い出しかない。

当時は大型バイクに乗り、1日2~3時間しか眠れない毎日でしたが首都高にバイクで走りに行くのが1日の終りの楽しみでした。首都高のパーキングエリアでタバコを吹かし、缶コーヒーを飲み、ただただ街の明かりを見ている。

当時付き合っていた一回り以上年下の男の子に、金庫にしまっておいたお金を持ち逃げされ、裁判に。裁判の途中にその彼はバイク事故を起こし、死んだと後から知る。

悪いことしたら宇宙って見ているんだね。と思い知りました。
その時の彼の紹介で知り合ったバイク乗りの年下の男の子となぜか再婚。付き合う前にプロポーズされ、あっという間に入籍。

その時の旦那さんの母親に、「一回セックスしたくらいで調子にのるな」と罵倒されたのも今はいい思い出。もし私に息子がいても、そう言うわ。

そして初のサラリーマンの結婚相手に、世の中の「主婦」の制度を知る。

ボーナスってすごい。交通費って貰えるの??

そもそも仕事休んでお給料貰えるて凄すぎる。

一日休んだら命取りだった事業主の当時の私は、サラリーマンの守られた安定がとにかくキラキラ見えました。

年金って扶養家族だと払わなくていいの??と嬉しくなりましたw
時は2011年。ちょうど東北の震災があった時で、お客様の家族が被災したこともあり、お客様のワンちゃんたちを助けるために東北のボランティアに全集中。そのため、一度、犬の事業は休業する事にしました。
万が一自分が被災したらどう動けば良いのかを学ぶために向かった東北。想像以上に様々な学びがあり、自分を成長させて貰えました。
それから6年ほど経ち、今度は熊本での震災。震災後5日くらいで被災地入し、ここでの衝撃的な出逢いにより私の人生はまたしても大きく舵を切る事になりました。

お金は人の安心な環境を作れる。

やっぱり中途半端にお金は稼いでも楽しくない。

安定とか言ってる場合じゃなかったわ!!

「人生、生き方を変えるなら今しかない。」

そう、私の魂は揺さぶられ、「お金は毎月貰って地味に生活するのが当たり前。」この考えを持つ前の夫と一緒に居ては人生は一生変わらないし、万が一自分が被災したら私、死ぬわ。そう思った私は3度目の離婚を選び、生活基準を変えた結果、現在の夫と出逢いました。初めての印象は、「安定なサラリーマンをあなたから取ったら何が残るの?(笑)本気でそれを聞いてしまうくらい、今まで接したことがない人種だった当時の夫。
この夫と出逢いにより人生観は変わり、生きる世界も変わりました。
女の子の本当に幸せな生き方を教えて貰い、まさかの急展開で再婚。

4度目の結婚(汗)

全く頭の思考が真逆の夫との生活。

ちなみにープロポーズの言葉は「あなたの翼になりたい」ですw

大切に大切にされ、家の中でぬくぬく生活をしていたら、あっという間に体重は95キロに(汗)今までの人生、体重の増減が激しすぎたことから、さすがにそろそろ生命の危険を感じ、「痩せて体重を安定させたい」と感じるようになり、ダイエットの本をアマゾンで検索。すると、金森先生の本をアマゾンに紹介され、先生の魅力に一気に引き込まれ、金森式の生き方が始まりました。

2020年8月8日。

私の人生、大きく変えた出逢い。
そして今、35キロの減量に成功し、お肌は常にピカピカ。体も疲れず、食事も美味しい日々を過ごせています。

「自分の人生を生きる」とは今世、生まれ持った魂の学び、任務をしっかり全うし、思い残す事などない生き方。
今までの人生、紆余曲折を辿ってきた私の経験が、次に繋がる方のプラスになり、少しでも参考になれば本望です。

画像1

左は2021年、年明けの私
夫からのプレゼント、DKNYのワンピース。

右は約20年前の私。115キロ近い体重があり、常に足腰が痛い20代。

人は生き方を変えられるし、人生も変えられる。

女のコはみんな世界で一番お姫様✨

いいなと思ったら応援しよう!