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「女の子」の教育について思うこと

今日は思うところがあり、少し踏み込んで書いてみようと思う。

日本の女の子の教育について。

私の父はとある大手製造業の品質管理部で、高校を卒業して入社してから、定年まで勤め上げた昭和のサラリーマンだ。ただし、ノンキャリアだった。コンプレックスの塊で、一流大学を出たエリート後輩社員がどんどん出世していき、あっという間に肩書きも給与も追い抜かされていった。そんな現実に納得がいかず、学歴コンプレックスがあった。

父は戦後の貧しい家庭に生まれたため、高校にいくお金がやっとで夜間の高校に通ったらしい。成績がよかった父は、大学にいきたかった。しかしその夢は叶うことはなく、昼間は製造業の現場でブルーワーカーとして働き、夜は夜間の高校に通学した苦労人だった。そして母も貧しい家庭に育った。中学を卒業してから高校にいくことはなかった。つまり中卒。小学校の時、私は母に「これはなんて読むの?」「これはどういう意味?」と聞くと、決まってデタラメな答えが返ってきた。だから私は母から勉強を教えてもらったことはない。

強烈な学歴コンプレックスを持つ父は、そのコンプレックスをバネにして仕事を頑張っていた。そして女の子である私にも男の子と区別することなく、勉強をさせてくれた。決して「女の子だから、地元の短大に行っておけばいい」なんてことは言わなかった。そしてお金のせいで勉強ができなかったという思いを、兄や娘である私にさせたくなかったのだと思う。短大が悪いとか劣っているとかではない。私に可能性があるのなら、可能性は諦めるなということだ。

何を話したいかというと、そういう苦労話ではなく、教育についてだ。

もしあの時、父が私の可能性を信じてくれなかったら、私はきっと元専業主婦として直面した理不尽な現実など、発信することはなかった。可能性を信じてくれる人がいたから、私は女性のキャリアが挫かれてしまう現実に直面しても、立ち向かった。そして母は、勉強は教えることができなくても愛情を注いでくれた。いつも笑っていた。そんな明るい人だった。だから絶望的な現実に直面しても「なんとかなる」と思えた。

つまり何が言いたかったかというと、可能性を狭めないで欲しいということだ。どんな環境だって、開ける道があると思う。だから経済的理由で学ぶことを諦めてしまう人を、再生産してはいけないと思う。もしかしたら世の中を変えていく人かもしれない。そういう可能性を持った人を潰してはいけない。そして可能性を持っている人は男の子だけではないし、女の子だけでもない。決して男女の二択ではない。あらゆる人が可能性を手にしても良いと思う。だから、健常者や社会的地位のある方、影響力のある方は差別をしてはいけない。可能性を潰してはいけない。可能性を信じてもらえた、という事実が、生きる気力になるからだ。

だから、女の子の教育について手を抜かないで欲しい。私が親になったから、初めて書けることだ。父親の方は、女の子が生まれて初めて女性の教育やキャリアについて真剣に考えるのではないだろうか。男性と女性ではキャリアステップが区別される。自分の娘がそんな現実に直面したら、なんて声をかけるだろう。例えば勉強を頑張って大学を出た娘に、公平な雇用機会と昇進のチャンスを与えられない社会。そんな日本の現実に直面した娘の父親たちは、どんな気持ちになるのだろう。

男の子だろうと、女の子だろうと、女の子でも男の子でもなかろうと、可能性を信じてあげて欲しい。

こんな立ち入ったことを書いているが、もし暑苦しいとか、そんな話は聞きたくないという方は、このブログを閉じて欲しい。

今、伝えるべきときだと思い、後悔しないよう、ここに私の思いを書き記した。



#変わろうよ日本




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