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続・経営者は誰だ

市民からのお叱りを受けないように
しっかり奉仕してくれたまえ
厳しいご指摘もあるだろうが
それに応えるのが君たちの務めなのだから
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
地方自治体で精神疾患などによる病気休職者が増えています。
報道によると10年前の約1.8倍、年齢別にみると20代と30代が平均を上回ったとのこと。

この統計は民間企業あるいは社会全体との比較がないのでこの現象が地方公務員特有の事情によるものかどうかは判然としませんが、この世界に30年以上いる私の目から見ても、地方公務員の世界で精神疾患による病気休職というものが目に見えて増えたように思います。
報道では特に若い人が、という結果になっていますが、経年変化での増加傾向は年齢に関係がないような実感はあります。
また病気休職に至らずとも精神的な不調を抱え年休を消化する職員や、休職ではなく退職を選択する職員もいることから、この統計の外側にも多数の見えない「病める公務員」の姿を見て取れます。
 
病気休職に至るほどの精神疾患がどのような原因によるのか、報道では業務量の増加、複雑化に加え、職場の余裕が失われて若手の教育に手が回らない、行政に対する過度なクレームなどハラスメントも影響している可能性があると指摘しています。
さもありなんと思う一方で、それら個別の原因をひとつひとつつぶしていくことよりも大事なことがあるといつも感じています。

以前、こんな記事を書きました。
私たち公務員業界はひょっとすると「人材」を「人財」として扱う、人を組織の財産として大事にしようという真剣な姿勢に欠けているのではないか、という疑念を呈したものです。
私が市役所に入った30数年前は「24時間働けますか」という触れ込みで企業戦士として昼夜の別なく働くモーレツ社員がもてはやされる時代。
「過労死」という言葉が社会問題化したのもこのころからです。
逆に平成初頭は、昭和の時代に築き上げられた、9時5時で仕事を切り上げる仕事をしない公務員像が世に蔓延し、実際に業務多忙な職場はあるのに「公務員は楽をしている」と言われた時代でした。
その後30年が経過する中で、民間企業では過酷な労働環境の改善が進んだのではないかと思っています。
ブラック企業という言葉も現れ、そのような働かせ方を忌避する社会の空気が醸し出されたことで、昔のように過酷な長時間労働やノルマを強いることは表向きできなくなりました。
 
一方、私たち地方公務員業界はどうでしょうか。
霞が関で働く国家公務員については、国会対応での長時間労働などの過酷な労働環境からくる中堅層の離職や志望者の減少などが最近よく報道されるようになりましたが、地方公務員でも状況はそう変わりません。
行革の名のもとに行われてきた度重なる人員削減で組織が先細る一方で、従来から行われてきた行政の無謬性、公平公正性を担保するための重厚な手続きは簡略化されることなく伝統的に継承され、一方で価値観が多様化、複雑化した住民ニーズへの対応や福祉社会の進展により増加した業務にも人手を割かれ、マンパワーが枯渇しています。
忙しければ人を増やす、人を増やすために賃金その他の労働条件を改善するという当たり前の取り組みが進まないのはなぜなのか。
人を増やせないのであれば仕事を減らすという道もありますが、私たちは市民の期待とそれに応えたいという自らの責任感の強さから、業務そのものをやめるという選択をとりづらく、人を増やそうにも財政的な事情もさることながら、その財政事情の改善のために昭和の時代から世間の脳裏にこびりついている仕事をしない公務員像の亡霊に囚われ「身を切る改革」を求め続ける市民の声に抗うことができない、そんな背景があるように思います。
 
公務員は全体の奉仕者。
その言葉が私たちに重くのしかかります。
確かに市民の皆さんが納めた貴重な税金を有効に使い、付託された権限を行使して行政運営を行い、市民福祉の向上のために尽力するのが公務員の使命です。
しかし一方で、私たち公務員は国や自治体に雇用された労働者でもあり、市民福祉の向上のために国や自治体が準備した労働力という資産でもあるのです。
先ほどご紹介した記事では、この「人財」という考え方が私たちの公務員組織の中で欠落しているのではないかということを書きましたが、それは組織の中だけではなく社会全体としてどうなのか、という問題を提起したいと思います。
先ほど紹介した過去記事ではこう述べています。
職員を大事にすることで自治体組織全体のパフォーマンス維持向上が図られているか、職員を蔑ろに扱うことで組織の機能が低下していないかを市民がしっかりと観察し、評価し、組織運営の責任者である首長にその評価結果を返すと世の中になってほしい。
そういう市民の目に耐えるだけの自治体運営を行うのが首長の責任であると首長自身が意識し、そのリーダーシップのもとで職員が財産として大事にされる職場づくりが行われる。そんな世の中になってほしい。
職員が使い捨てされるような組織が市民の幸せを考えられるはずがないし、組織から大切にされていない職員が市民を大切に扱えるはずがないのですから。
翻って市民の皆さんにお尋ねします。
皆さんのお住いの自治体では職員が「人財」として大事にされていますか?
大事にするかどうかの判断は誰が行っていますか?
その判断に市民の皆さんはどう関心を持ち、どうかかわっていますか?

自治体は民間企業と違い、顧客がそのまま全員株主のようなものです。
市民はサービスを受ける主体である一方で、サービスを提供する自治体に納税し、自治体運営の権限を付託し、それを監視する経営者の立場です。
しかし多くの場合、市民は顧客の立場でサービス提供者である自治体を見ることが多く、株主の立場で自治体経営を論ずることはあまりありません。
私たち自治体職員の働き方改革や人材の獲得、育成まで含めた人事戦略が首長の選挙の争点になることがないのは、ある特定のイデオロギーに偏っているという誤解を与える懸念も当然あるのでしょうが、そもそもそれは内部管理事項であって自治体の経営方針、特に顧客である市民が享受するサービスの内容や質を大きく左右するものではないという市民感覚なのだと思います。
 
巷で最近よく耳にする「カスハラ」という言葉。
商品やサービスを販売提供する従業員に対して、顧客の側から過剰な圧力がかけられ従業員の心身の安全が侵されるという社会問題です。
役所に対して住民から寄せられる過度なクレームもこの「カスハラ」として取り上げられるようになっていますが、これも厳密に言えば市民は顧客の身分である一方、サービスを提供する自治体そのものを経営する立場でもあるわけです。
サービス提供者と顧客との関係が対等で互いの人権を侵してはならないことは一般論として正しいですが、公務員と市民との関係で言えば、その関係性に加えて株主が自らの会社が販売する商品をキズモノにするようなものです。
自治体職員を精神疾患に追い込むようなカスハラやパワハラを内部管理事項だと放置し、職員の労働条件悪化をないがしろにして、その労働環境が生み出す業務成果の品質との関係性に無関心であれば、自分たちが経営する自治体そのものの品質低下、ひいては自分たちが享受するサービスの質や量を悪化させます。
そのような場合に顧客として「社長を出せ」と文句を言おうにも、その社長に経営権を委ね、監視する株主の立場である自分たちに跳ね返ってくるだけだということをお忘れなく。
もちろん、私たち公務員自身が、自分自身そして組織の中での互いを人として尊重し、互いを大事にしあうことも重要だと思っていますが、それを温かく許容し、労働者としての私たちに理解共感していただけるとありがたいです。
 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
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