子どもたちのために遺すもの
奨学金を受ければ学費は心配ないって言ってたけど
それはお父さんが払わないでよくなるだけで
私が借金して将来その返済を負担するってことなのよね
#ジブリで学ぶ自治体財政
来る衆院選に向けて某政党が掲げた公約に「教育国債」を10年間で50兆円発行し,文教・科学技術振興費の対GDP比を倍増させるというものがあります。
教育や人づくりに対する支出は将来の成長や税収増につながる投資的経費であり,財政法を改正してこれらの支出を公債対象経費とする「教育国債」を創設するというものです。
数年前には政権与党でも議論されたこの施策,今回特定の政治思想信条として論評を加えることは好ましくないと思いますが,地方財政に長年従事した私がこれまで理解してきた,国や地方の借金についての理解と異なる部分があるため,改めて問題提起をしておきたいと思います。
地方自治体は原則として,道路や公園,学校などの社会資本整備のために借金をすることができます。
これは,将来にわたって長く使い続ける社会資本の整備費用について,整備を行う時期の市民だけで負担するのではなく,その社会資本の便益を受ける将来の市民にも負担していただくことで世代間の公平を図る,との考え方によるものです。
国も地方自治体と同様に社会資本整備の財源に充てる,いわゆる「建設公債」があります。
財政法第4条では「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。」とされており,地方自治体と同様に将来にわたって長く使い続ける社会資本の整備費用について,整備を行う時期の国民だけで負担するのではなく,その社会資本の便益を受ける将来の国民にも負担していただくことで世代間の公平を図る,との考え方に立っています。
今回の「教育国債」は,この財政法第4条但し書きに定める「公共事業費,出資金及び貸付金」以外の費用に充当するための公債を新たに創設し,文教・科学技術振興に関係する歳出の財源に充てたいとの考えによるものです。
財政法を改正し,現在建設公債の対象としていない,資産形成を伴わない学術研究や教育の充実に関する経費に充てたいということのようですが,これは「公債」を財源とすることが適切か,というのが私からの問題提起です。
そもそもどうして社会資本整備以外の名目で借金をしてはいけないのか。
これは憲法に定める「会計年度独立の法則」によります。
仮に,市民が必要とするサービスを提供するのに十分な収入が得られないときにその不足額を借金で賄ったとします。
そうすると,将来の市民はその借金を原資としたサービスを受けられないのに,その返済だけを負担することになります。
これは明らかに将来の市民の予算編成権,自分たちの収める税の使途を決める権利を侵害しています。
財政法第11条は「各会計年度における経費は、その年度の歳入を以て、これを支弁しなければならない」,地方自治法第208条第2項は「各会計年度における歳出は、その年度の歳入をもつてこれに充てなければならない。」と定め,いくつかの例外はありますが,国も地方自治体も原則としてある年度に必要な支出の財源は,同じ年度内の収入で賄うことになっています。
この会計年度独立の原則は、憲法第83条から第86条に定める「財政民主主義」の思想を具現化したものだと私は捉えています。
財政民主主義とは、国家が財政活動(支出や課税)を行う際は、国民の代表で構成される国会での議決が必要であるという考え方で、これに基づいて、国及び地方自治体は単年度予算主義を採用し、年度ごとに国民、市民から徴収する税金の額とその使途を国民、市民の代表に問いかけ、賛同を得ているのです。
こう考えると、債務負担行為や繰越など、年度を超えて支出することをあらかじめ決定することが例外とされているのは、将来の国民、市民の持つ予算編成権に対する越権、侵害行為となるからであり、将来にわたって負債を負う「借金」の使途が限定的なこともこの考えに基づいているのです。
今回,教育国債の発行によって,将来の国民が償還すべき債務を今後10年間で50兆円負担することとした場合,その返済に要する経費についてあらかじめ将来の国民の予算編成権を奪うことになります。
それを将来の国民が許容できるのか,私には二つの懸念があります。
一つは,その債務によって得られた便益の可視化が難しく,得られた便益相当の費用を負担することの納得性が得られにくいのではないかという懸念です。
公共事業によって整備された道路や公園,学校などの公共施設であれば,それを使い続けることで当然に将来の国民もその便益を実感できるため,その費用負担を受け入れることができますが,学術研究に要した経費,教育の充実に要した経費はどうでしょうか。
総論としては教育や人づくりに対する支出は将来の成長や税収増につながる投資と理解されたとしても,具体的な施策事業の経費としてその年度で費消され,有形・無形の資産として残らないものの負担を後世に求められても,その具体的な施策事業の成果が将来の社会で価値あるものとして実感できるものでなければ甘受しづらいのではないでしょうか。
また,文教・科学技術振興費のうち建設公債の対象とならないソフト部門への公債充当に抵抗感があるもう一つの理由は,特に教育施策の充実に関する費用について,それは本当に将来の国民が負担すべきものなのか,という懸念です。
件の某政党の公約では別に幼児教育・保育無償化の対象拡大,義務教育の年齢拡大,給食の無償化などのさまざまな教育の無償化施策が掲げられており,この財源について公約での明示はありませんが,現在提唱されている「教育国債」での財源確保が想定されます。
しかし,現時点ではこれらの施策拡充に要する経費は子どもたちの親世代が負担しており,この負担を軽減し,これを教育国債で賄うということは現在の親世代が経済的に楽になり,これを子どもたちに担わせるということになります。
現在,子どもたちの親世代が享受している他の施策に充てる財源を減らして行政サービスを縮小することもせず,将来の不安がないように制度維持している年金,医療等の社会保障の枠組みを堅持したうえで,子どもたちに必要な教育施策については親世代の経済負担を解消するために国が借金をし,その施策の当事者である子供たちが将来支払うことになるというのは,明らかに現在の子どもたちの親世代が負担すべきツケを子どもたちに回しているということになるのではないか。
国の将来のことを考え,子どもたちへの教育施策を充実させるというのであれば,そのための経費は子どもを育てる責任を持っている現在の我々親世代が,自分の受けているサービスや将来への備えを削ることで賄うことが本筋なのではないかと思うのですが,皆さんいかがお感じでしょうか。
そもそも建設公債以外に「赤字国債」という魔法の杖を持つ国が,施策の充実に際して常に公債充当をあてにしてしまうことの危険性も以前お示ししています。
もちろん国の財政出動によって経済再生,国民生活を支えることも必要ですが,国の財政運営の失敗が引き金となって,国が担っている社会保障その他国民生活を支える行政サービスの量や質が影響を受けないか,あるいは経済が混乱し企業の経済活動や労働市場に影響を及ぼすことで社会不安が増大しないか,ひいては物価や金利の上昇,金融資産の価値減少など個人の日常生活への影響に懸念はないのか,といった,社会全体への影響を考えれば,「国債で国は破綻しない」という一部の経済評論家の意見を否定も肯定もせず,これまでの経済危機で繰
り返されてきたように財政運営の持続可能性についての議論が聞かれなくなってしまうことはあってはならないと私は強く思っています。
「教育国債」という新たな財源確保の手法提唱に際して,今さえよければそれでいいと安易に借金に頼るのではなく,「借金をするとはどういうことか」という財政運営の本質的な部分について選挙やその後の国会においてしっかりと議論し,現在の国民として後世に恥ずかしくない結論を導くことができればと思います。
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
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