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息苦しさは宿命か
最近いろいろとよくない噂を聞く
そのようにあなたを見ている人もいる
ということを知っておいてほしい
いや私がそう見ているわけではないのだが
#ジブリで学ぶ自治体財政
先日、茨城県ひたちなか市の職員研修にて財政出前講座を出講させていただきました
終了後は事務局があらかじめ募ってくれていた研修参加者の若手職員有志の皆さんと美味しい食事とお酒を楽しみました
出前講座で全国を巡る旅を始めてもう10年経ちますが、講座後の懇親の場は本当にかけがえのない価値があります
これまでも可能な限りこのような場を持ちたいとスケジュール調整に腐心し事務局の方にもわがままを言わせてもらいたくさんのかたと交流を持たせてもらいました
参加者の皆さんいつも本当にありがとうございます
10年も続くこの講座終了後の宴席での交流ですが、実はこの場のことをSNSで発信することをこれまで控えておりました
それは私がまだ財政課長だった頃、出張財政出前講座を始めて少し経ち、全国各地で様々な方々と交流を持てるようになったことがとても嬉しくて気分が高揚していたときに、とんでもない冷や水を浴びせられたことによります
その頃は講座そのものの実施状況、現場の雰囲気などをSNSにアップするのに合わせてその日の夜の宴のことも投稿していたのですが、ある日職場で上司からそのことについて注意を受けました
「財政課長が他の地域に出向いて行って酒ばかり飲んでいるのはけしからん」という趣旨の苦情が人事課に寄せられたというのです
勤務時間外のことですし、ハメを外しすぎて世間に迷惑をかけるような深酒をしているわけでもありませんので、苦情の主の言いたいことがまずよくわからないのですが、私が違和感を覚えたのは、この苦情があったことを人事課が私の上司を通じて私本人に伝えたという事実です
出前講座そのものも職場の許可を得て行っていることですし、職場に迷惑をかけないように段取りも踏んでいましたから何ら後ろめたいことはないのですが、この一件以降、何となく誰かから後ろ指を指されているような気がして、出前講座そのものは大手を振って情報発信するかわりに、その後の宴席のことはSNSにはあげないでおこう、と自分の中で決めて、この10年間その禁を守ってきたところです
今回、10年ぶりに講座終了後の宴席のことを記念写真とともにSNSにあげましたが、これは私が10年間抱えていた息苦しさから解放されたことを宣言したかったからです
私が感じていた息苦しさは私自身が悪いことをしているという罪悪感でありませんし、件の苦情者に対しての感覚でもありません
このような苦情があったことを一定レベルのリスク事案と考え職場で共有すべき情報として本人に伝達した、当時の人事課及び当時の上司からの無言の圧力に対しての不満、不信とそれを言い出せない閉塞感からくる息苦しさだったのです
職員が勤務時間外のことをSNSにあげることに一定のリスクがあることは承知しています
市民の誤解を招くようなことがないように、信用失墜につながるようなことがないように、という自覚を促すことは一般的にあり得ます
しかし、個別の事案に対し、それほど頻度が多いわけでもなく、常識の範囲内での酒量での宴席の写真をSNSにあげることを「苦情があったから」と本人に伝え、活動を萎縮させることにどのような意味があったのかと10年経って思います
当時の苦情者がどのような思いで私の投稿を見ていたのかはわかりませんが、私は後ろ指を指されるようなことはこれまで一度もしたことがありません
当時、苦情があった際に、なぜ人事課は私にそのことを伝えたのか
プライベートな時間のことだから問題ないと一笑に付してくれなかったのは何故なのか
苦情者に対してよりも当時の人事課の対応についてのわだかまりが今も残っています
同じような、いやもっとモヤモヤが残ったことがあります
今から数年前、私が財政課を卒業してだいぶん経ってからの話ですが、財政課時代に私が行った財政健全化の取り組みや予算編成手法改革について全国のいろんな自治体から問い合わせがあり、メール、電話のほか、コロナで来客をお断りしていた時期には事務所への往訪の代わりにスマホでのWEBミーティングで対応していました
相手方は私が市職員であるということだけを手がかりに勤務時間中に連絡してこられることがほとんどでした
職務で培ってきたノウハウに対する問い合わせについて異動後もできる範囲で情報提供することは市職員として当然のことと思っていましたが、ある日私は上司から「それは現在のあなたの職務ではない」「勤務時間中にこれらの問い合わせに対応することは職務専念義務違反となる」との指摘を受けました
最近、名刺を公費で負担することを認める自治体に関する報道があり、それを機に自治体職員が名刺を配る際にそれを職務か職務でないかという線引きで区分けする考え方を示す人たちもおられましたが、職務か職務でないかという線引きにどんな意味があるんでしょうか
公務員が自らの矜持で公的なものと考えて行う行動を、よく知りもしない第三者から事務分掌規則の字面に基づいて職務ではない、私的行動だと断罪されるような組織でいい仕事ができるはずがありません
名刺は公費か私費かという議論が成立している時点で、我々公務員もバカにされたものだと残念に思います
私はもう公務員ではありませんが、現在も公務員現職の仲間で、同じような息苦しさを抱えている方もたくさんおられると思います
具体的に問題がある場合は当然控えるべきですが、何か事が起きてはまずいとリスクヘッジの観点から職員のプライベートを管理し、萎縮させるということは常にあり、そのことが公務員の能力の解放を妨げているという面もあります
公務員の課外活動を萎縮させる圧力は、人事課などの管理部門だけでなく、議会筋からのものもあると聞いています
そのような外野のつまらぬ茶々への対応の煩わしさから、おとなしくしていよう、目立つことはやめておこう、と公務員が自らを閉ざされたムラ社会に閉じ込めてしまうことは本当にもったいなくて残念なことだと感じています
私事ですが、この度公務員という身分から離れて改めて、その身分の持つ息苦しさを自覚し、そこから解放されたことを本当にうれしく思います
残念な話ですが、地方公務員の立場から離れて新たな道を歩む仲間たちが後を絶ちません
その理由は様々ですが、公務員の使命やその仕事自体へのモチベーションはありつつも、毎日過ごす職場に問題があり、その改善が見込めないことを理由として退職を決断した仲間もきっと少なくないことでしょう
私も今思うとそういう側面があったことは否めません
働きやすい職場に必要な風通しの良さ
それは職場に対して働く者が愛着を持てるかどうかで決まります
職場からその存在を認められ、信頼され、任せてもらえるからこそ、その場への忠誠を尽くし、最大の効果を発揮しようという気持ちが湧いてくるもの
公務の適切な遂行、あるいは不祥事を起こさせないように職員の言動を管理することの必要性をまったく否定するわけではありませんが、その結果として職員を萎縮させるようなマネジメントが横行しているとすれば、そのことが公務員の働きにくさ、息苦しさを醸し出しているとしたら、改善されるべき課題ではないかと思います