見出し画像

【落ち穂】連載「好きな理由」

数年前の明け方4時ごろ。締めのラーメンをすすりながら聞いた言葉が、ずっと頭に残っている。「どうしてこんなに沖縄が好きなのか、いまだに分からないんだよね」。夫の先輩の言葉だ。沖縄に遊びに来ていて、せっかくだから一緒に飲もうということになった。

先輩はかなり沖縄が好きなようで、年に何度も訪れてはひとりであちこちを巡っているのだという。だからお開きが迫ったタイミングで「どうして沖縄がそんなに好きなんですか」と聞いたのだった。

その日の会話はほとんど忘れてしまったのに、「分からない」と言ったその回答だけはっきりと覚えている。実のところ、少しがっかりしたのだ。もちろんわたしの周りに「なんとなく沖縄が好き」という人はたくさんいるし、沖縄を好きでいることに理由なんて必要ない。だけど先輩はかなり沖縄に詳しいし、好きな理由を情熱的に語ってもらえる気がしていた分、ちょっぴり残念だった。

その後も、どうにか好きな理由を引き出したくて「わたしは沖縄のこういうところが大好き!」を散々熱弁して粘ったが、どのエピソードも笑顔で聞いてくれたものの「自分もそれかもしれない」とは最後まで言ってもらえなかった。最後は「僕もぜひ知りたいんだけどねぇ」と言われて終わったのだった。

先日、読書で「ネガティブケイパビリティ」という概念を知った。「理由を性急に求めず、不確実さや懐疑の中にいられる能力」だそうだ。瞬間的にあの日の会話が頭に蘇る。あれがそうだったかもしれない。思えばあの日、わたしが話した数々の「好きな理由」に同調するのはとても簡単だったはずだ。だけど先輩はそれをせず「分からない」を保持した。守ったとも思える。そうやって言葉に安易にあてはめるのを拒んだこと自体が、好きが深い証だったんじゃないか。だとしたら「なんとなく好き」と同列と捉えたわたしの解釈は、まったくもって的外れだ。

ベラベラと好きな理由を言葉にして放出した自分が急に恥ずかしくなる。「好き」という感覚だけを味わいながら沖縄を巡る先輩の姿が頭に浮かび、無性に羨ましくなった。

※この記事は、琉球新報にて連載中の「落ち穂」に寄稿したものです。紙面掲載が完了しているものを許可をもらって転載しております。(改行など一部変更あり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?