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さんさ踊り2日目

 さんさ踊りを観た。去年は秋田の竿燈を観てから盛岡に来たので、さんさ踊りは初めてだ。そう、もうすぐ盛岡に来て一年が経つ。

 暑い日だった。さんさ踊りの初日に北東北の梅雨明けが発表されたらしい。あまりにも出来すぎではないだろうか。準備は完全に整った。

 さんさ踊りのメインは18時から中央通りで行われるが、13時から駅前のマリオスでサブイベントが開催されるというので行ってみる。
 1500人入れるという大ホール。席は全然埋まっていなかった。チケット代は2000円。このサブイベントはさんさが行われる1日から4日まで開催されていて、去年までは全日通し券があったらしいが、今年から一日券のみの販売になったらしい。
 当日券を買うときごねているおじいさんがいた。
「なんで今年は通し券ないの?」
「値上がりしたんです」と受付の女性が答える。
 何でもかんでも値上がりの時代だ。世知辛い。
 座席は選びたい放題だったので前の方に座る。

 さんさ踊りといっても地区ごとに踊り方は変わるらしい。老若男女、幅広い年代の人が踊っているけれど、どちらかというと女性の方が多い。
 見ていて一番気になったのは、踊り手が被っている花笠。赤い牡丹の花笠の所がほとんどだが、地区によっては白い花笠の所もある。花笠というと山形の花笠まつりが思い浮かぶけれど、山形は笠に花がついている感じで、さんさの花笠は花が笠になっている感じ。大きな花の被り物をしているみたいで、ぱっと見花にも見えなかったりする。最初街中で見たときは何か大きなトマトみたいなのを被っているな、と思ったものだった。

 これが初東北で、初めて見る東北の祭りだったら多分もっと新鮮な目で見ることができたのだろうけれど、青森のねぶたや秋田の竿燈まつりを観た後なので、僕はすっかり東北の祭りに対してすれた人間になってしまった。
 さんさ踊りを見ても、いまいち感動のようなものはなかった。基本的に太鼓を叩いたり笛を吹いたりする人がいて、そのリズムに合わせて踊っているだけである。
 見ながらちょっと眠いな、と思ってしまった瞬間もあった。地区によって踊りが違うといっても、基本的に大きな違いはない。
 そんなことを思っていた休憩終わり、ミスさんさの集団が現れた。

 薄緑の浴衣に身を包んだミスさんさ2024の5人が現れると、途端に壇上は華やいだ。ミスに選ばれるだけのことはあり、皆さんお綺麗である。気のせいか踊りまで優美で滑らかに見えた。地方の祭りのミスだし、と侮っていたけれど、すっかりファンになってしまった。

 4時間の競演会が終わって街に出ると、人の数が明らかに普段と違った。さんさ踊りがあるといっても平日の16時過ぎ。でも大通りの店先にはテントが立ち並び、ビールやフードなどを販売している。学生など若い人を中心に、客の数も多かった。

 祭りはいい。普段見ている光景が一変して非日常な光景になってしまう。
 まだ屋台で時間を潰すには早い時間だったので、16時から開いているバーに行くと、誰も客がいなかった。人混みは体力を消耗するので、さんさが始まるまでここで体力の回復をはかるとする。


スイカのカクテル

 マスターと会話をするが、久しぶりに行ったため、以前会話した内容がリセットされてしまっているのが哀しい。さんさ踊りは初めてでマスターは驚いた顔をした。転勤で盛岡にいると言うとどちらからと聞かれる。この会話前もしたなぁと思いながら。地元が千葉なことは以前話したはずなのに。まあたまにしか行かない自分が悪いのだけど、同じ会話を繰り返すと少し虚しくなる。

 バーで1時間ほど過ごして大通りに出ると、人の数が凄いことになっていた。人が列になって動いている。祭りが始まるのだと思った。流れに乗って歩く。

 どこで見ようか特に目星をつけていなかったので、何となく流れた場所で見やすそうな場所に止まるが、小腹を満たしたくなって近くにある屋台を覗きに行く。いろんな屋台があって迷おうと思えばいくらでも迷えてしまう。そんな時は何か決め手が必要だ。若い女の子に笑顔でお勧めされる。どて煮まんと味噌おでん。どっちも食べ物として惹かれるものはなかったが、女の子の笑顔には惹かれた。結果、どて煮パンを買う。

 食べながらさんさの行われる道路に戻ると、少しの時間しか経っていないのに観客の列の幅が太くなっていて、しまったと思う。せっかくの初さんさなのだから、もっと前の方で見たかった。

 18時になり、さんさ踊りが始まった。先陣を切ったのは我らがミスさんさ集団だった。お馴染みの薄緑の浴衣に身を包んだミスさんさたちが優雅に目の前を横切っていく。30度を超える暑い日なのに、優美でそして可憐である。さすがミスに選ばれるだけのことはある、と思う。

 昼間見た競演会では壇上で踊っていたが、今は踊りながら歩き、目の前を通り過ぎていく。見ながらやっぱり少し盛り上がりに欠けるなあと思ってしまった。

 青森のねぶたであれば、ねぶた師によるアート作品のようなねぶたがお目見えし、その迫力、荘厳さに息を飲む。秋田の竿燈であれば、持ち手が竿燈を操る技術に見とれ、竿燈と竿燈の競演に心躍らせることができる。

 さんさ踊りの場合は、基本的には太鼓や笛の音に合わせて踊るだけである。見応えとしてはどうしても見劣りしてしまう。ねぶたや竿燈と比べることなく、さんさはさんさとして見たかったが、どうしても比べてしまうのだ。東北生活が長くなり、僕はすっかりすれた東北人になってしまった。

 最初は後ろの方に立って眺めていたけれど、一人また一人と前列の人が消えていき、いつの間にか最前列に腰を下ろしていた。


 岩手大学の集団が現れたときは壮観で見応えがあった。数が多いし、若いので動きもいいし何よりも見映えがする。
 そこから若めの集団が続いて、さんさ踊りはクライマックスに差し掛かった。

 さんさ踊りは流れていく。そして続く。18時から始まり、20時半頃までさんさ踊りは続いた。
 一つ一つの踊りはそんなにたいしたことがなくても、2時間半ずっと目の前で流れていくさんさ踊りを見ていると、さすがに胸にこみ上げるものがあった。
 それは一つの人生のようでもあった。人生とはパレードである。太鼓の音や笛の音に合わせて踊り続ける、そんなパレードである。
 同じパレードなら笑顔で踊った方がいい。観客であるよりも、あのパレードに参加した方が楽しそうだった。

 さんさ踊りの最後の集団が過ぎ去り、パレードは終焉を迎え、静かになる。ひとつの命が生まれ、そして死んだみたいだった。

 僕も踊りたくなった。同じアホなら踊らにゃ損損。

 僕は僕のダンスを踊ろう。

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