第15回 関西クィア映画祭 2022に参加して
みなさん、こんにちは。今回は「第15回 関西クィア映画祭 2022」に参加した感想を書きたいと思います。
この映画祭については別の記事で紹介しているので、知らない方はそちらを読んでから、この記事を読むことをおすすめします。
わたしと今年の映画祭の関わり
実行委員としての参加
今年の映画祭に向けた実行委員が発足されたのは、去年の映画祭が終わった一カ月ほど後でした。映画祭は一年をかけて作られています。
わたしは当時、実行委員として参加していました。10年ぶりの実行委員。頑張ろうと強く思っての参加でした。
実行委員は本当に大変なものです。仕事を掛け持ちするような感覚になります。関西クィア映画祭は財政的にも厳しく、また営利目的の団体ではないので賃金が発生することもありません。みんな仕事や学業を頑張りながら、映画祭のことをしています。
実行委員も毎年、変わっていきます。人数も変わりますし、初めての参加になる人がいることも多いです。
わたしは最初の意気込みの通り、たくさんの作業を引き受け、自分なりに頑張っていました。しかし、持病の悪化などで途中で実行委員を辞めることになったのです。後にそのことについて詳しく書きたいと思います。
当日スタッフとしての参加
実行委員を辞めたわたし。しかし、体調や精神的にも少しずつ落ち着いていき、当日のお手伝いができると思い始めました。そこで、当日スタッフとして参加することを決めます。
スタッフ説明会へ行き、久々に見る人や初めての人たちと一緒に説明を受け、参加することとなりました。
このことについても後で詳しく書きたいと思います。
実行委員として参加してわかったこと
引き受けすぎるわたし
実行委員会の会議をしていると、最初からやることが無限に出てきます。本当に途方もないほどの作業があります。それを数名で手分けしてやっていくしかないとわたしは考えていました。全ての作業をこなす必要があるのだと。そのため、他の人がやらない、できないと言った作業を引き受けていました。
それは、到底、ひとりで片づけられる量ではなく、わたしは無理をし続けて、何とか出来ているように見せるかたちでやっていました。それは、言い換えるとできていないということなのですが、当時のわたしはそれを理解できていませんでした。
持病の悪化と体力の限界
わたしはうつ病を患っており、当時は今以上に酷い状態でした。なかなか症状が改善されない中、無理をし、大丈夫なふりをしていました。やることを引き受け過ぎていたわたしは、体力的にも限界を迎えつつあり、しんどくて仕方なくなっていきます。
会議に出席しても頭が回らず、発言することも少なくなっていきました。毎日、映画祭の作業をし続け、限界を迎えた頃にようやく「もう続けるのは無理かもしれない」と思い始めます。
今思い返せば、続けていくことが不可能な状況を自ら作っていたと思います。
「できない」という恐怖
わたしが無理をしてしまった理由のひとつに、「できないことはいけないことである」「完璧でいないと受け入れてもらえない」「できないと存在価値がない」などの思い込みがありました。自分で自分を脅し、恐怖を感じていたのです。
実際は映画祭の作業を完璧にできていなかったのですが(何にしても完璧にはできないのだけど)自分では「精一杯がんばっているし、できている」「できているから大丈夫」と思っていました。
わたしを受容していないのは、わたし自身であること。それを後になって理解したのです。実行委員をしている間は全く考えていませんでした。
辞めるという選択肢
体力的にも精神的にも限界で、自らを受容できないことからできもしない作業を引き受けていたわたし。しかし、辞めるということを選ぶのは「自分には映画祭の実行委員ができない」ということを認めることになります。言い換えると「できないことを認めること」になるのです。
体力も精神も限界で続けられないと思ったときに、わたしは他の実行委員の人と相談をしました。すると、ひとりの実行委員がこう言ったのです。
「このままじゃ続けられないだろうと思っていた」「できないということを認めるなら、辞めるという選択になるか」
そのとき、わたしは初めて「最初から自分はできていなくて、辞めるということはそれを認めるということになるのか」と気づいたのです。わたしよりも、その実行委員の人の方がわたしのことを分かっていました。
他の実行委員や組織委員にも相談し、わたしは実行委員会で辞めることをみんなに伝えました。
当日スタッフとして参加して感じたこと
関西クィア映画祭というコミュニティ
映画祭、当日、わたしはお手伝いをする当日スタッフとして京都会場にいました。
そこには一年ぶりに会う人たちがいて、「久しぶり」という声がたくさん聞かれました。わたしが初めて映画祭に関わった10年前には聞かれなかった言葉です。これは、映画祭がコミュニティの側面を持っている、ということだと思います。
また、わたしはここ以外のクィアコミュニティを知りません。セクマイのコミュニティはたくさんありますが、それはクィアなコミュニティではありません。セクマイという共通項で集まるのと、クィアコミュニティは別物だと感じます。
わたしはこの関西クィア映画祭というコミュニティがとても好きで、この場を失くしたくないと思っています。とても居心地もいいし、セクマイに関する問題以外の自分が持つ差別にも気づかせてくれます。そういったことはクィアコミュニティでないと感じられないと思うのです。
不足していた情報保障
わたしは会場整理という部署で映画の入場案内をしていたのですが、情報保障が足りておらず(それは来てくれた人たちと接する受付でもそうでしたが)来場者の方に指摘されて、やっと「やってしまった」と思いました。
声で入場案内をし、最低限のパネル(今は何番~何番が入場できる、とか)を持ってウロウロするだけではろう者の人には伝わりません。途中から「入場開始」というパネルも追加しましたが、それでも掲示するべき情報が足りておらず、ろう者の人たちにはほとんど理解できなかったと思っています。
今年は「ジンジャーミルク」というろう者の登場人物が出てきて、手話も使われる映画の上映があり、ろう者の方が来られることを想像するのは難しいことではなかったと今は思います。怠慢でした。わたしの中にある差別があぶり出されたと感じています。本当に申し訳ありませんでした。
わたしたちは来れる人を選んでいる
ろう者の人を想定せず、入場案内をしてしまったように、わたしたちは来てくれる人、来れる人を選んでいるように思います。
全ての映画に日本語字幕はあっても、英語字幕は一部にしかありません。しかし、全てに対応しようと思ったら映像はいろんな言語の字幕でいっぱいになってしまいます。また、目の見えない人や見えにくい人に対する情報保障はありません。
わたしにも、わたしたちにもできないことがあり、不完全であり、そのためにどういった人たちが来れるのかを選んでいるという事実があります。そのことをしっかり頭に置いておかなければならないと思います。
実行委員への感謝
途中で辞めてしまったこともあり、本当に開催まで頑張ってくれた実行委員の人たちには感謝しかありません。反省会でいろんなことが話されると思いますが、来年の開催へ意欲を持ってくれている人もいて、それがわたしにとっては希望のように思えます。
これからも責任を持って映画祭を担ってくれる人がいないと映画祭は続けられません。
もし、興味を持っている人がいれば以下の公式サイトのお問い合わせ(スタッフのメールアドレス)から連絡してみてください。
自称 関西クィア映画祭 応援係として
応援していく気持ち
これからも映画祭を続けてもらえるように、わたしは自称応援係として応援を続けるつもりでいます。実行委員をすることはできませんが、それでも力になりたいと思っています。
そのためにできることを考えていきます。
わたしはこの場を失くしたくない。このコミュニティに居続けたい。
だからこそ、みなさんにお願いしたいことが何点かあります。以下に書いていくので、良ければ読んでください。
「関西クィア映画祭をサポートする会」
関西クィア映画祭を財政的に応援する会です。映画祭は本当に貧乏で、スタッフがお金を出したりもしています。みんな無報酬で頑張っています。
存続のためにも、みなさまの力を貸してください。お願いします。
また、以下からカンパを送ることもできます。
よろしくお願いします。
ぜひ、ご来場ください!
関西クィア映画祭に少しでも興味を持ってくださっているなら、来年もぜひご来場ください。
いろんな作品やトーク、クィアな仲間たちに出会えます。
TwitterやInstagramもチェックしてください。
さいごに
関西クィア映画祭はいつもわたしに何かを与えてくれます。素敵だと強く思うからこそ、できることを続けていきます。
映画祭は応援してくれる人や来場してくれる人、手伝ってくれる人、実行委員の人…いろんな人がいるからこそ、開催できます。ぜひ映画祭が続けられるように自分ができる関わり方をしてほしいです。
今年も頑張ってくれた実行委員のみんな、当日スタッフのみんな、素敵な映画を作ってくださっているみなさま、そしてご来場いただいたみなさま!
本当にありがとうございました。
わたしにとって大事な時間が過ごせました。みなさまに感謝しています。来年も続くように応援を頑張ります。
最後まで読んでくださってありがとうございました。市川ゆめでした。