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タマスダレ

火曜日、お隣のキムラさん(仮名)とお別れをした。

「お元気で……行ってらっしゃい」

車の後部座席に乗り込むキムラさんに声をかけたが、「さよなら」ではないと思ったから、思わず「行ってらっしゃい」を付け加えた。
でも、きっと違ってる。

キムラさんは「とらふぐさん?」と私の声に気づき、「長い間お世話になりました」と言った。

腰が曲がって小さくなったキムラさんは、座席からうまく私を見られなかったようだ。


数日前から、キムラさん界隈がせわしなかった。
誰かれが頻繁に出入りし、裏まで回って、蜘蛛の巣がいっぱいだの、洗濯機がどうのと言っている。

キムラさんちに出入りする人はだいたい把握している。
クリーニング屋さん、〇〇銀行の人、ヘルパーさん、タクシーの運転手さん、そして時々姪っ子さん。

聞き耳を立てずとも、すぐ隣だから聞こえてくる。悪趣味ではない。
むしろ自分はずっと、「キムラさんを守る」という謎の使命感を持っていた。

誰か不審な者が騙しに来ないか。
高齢者を狙った詐欺や悪徳業者が、うそぶいてキムラさんちに来やしないか。

過去、大雨が降り、そこそこの水が溢れた時があった。結局うちもキムラさんちも事なきを得たが、それからは、
なにかあったらうちの夫がキムラさんを背負って、一緒に避難する約束もしていた。
私が勝手に申し出ていたことであり、キムラさんは「まぁまぁ、ありがとうございます」と言っていた。
幸いそんな事態になったことはない。

ここ毎日訪れている声の主は、どうやら2人だ。会話から夫婦であることがわかる。なんか奥さんの言い方がきつい。

あ、キムラさんの声も聞こえた。
泥棒ではなさそうだ。
なんならその奥さんは「おばちゃん」と呼びかけていた。
「おばちゃん、これは持っていかんでもええけんな」

姪っ子さん?
いつもの姪っ子さんと違うようだが。

ちゃっかり車も確認していた。
いつも姪っ子さんは赤い車で来ている。
最近停まっている車は白いのが2台。
このご夫妻それぞれの車だろう。

2台の車が去ったあと、
何気に草抜きをするフリをして、うちと隣りの境目辺りに行ってみた。

実際に境目となるような、つまり壁などはなく、草が生えてない方がキムラさんち、生え放題なのがうちだ。
草抜きのフリをせずとも、そのまま抜いた方が断然よかった。

タイミングよく、キムラさんが勝手口から出て来た。

「すみません、草こんなに生えちゃって。なかなか抜く時間なくて。へへ」

「いやいや、大丈夫ですよ」

どうしよう。
何かありました?って聞いてみようか。

そう思っていた時、キムラさんが言った。

「とらふぐさん、実は私ねぇ、施設に行くんです。長い間お世話になりました」

「え!どこかお悪いんですか?」

「いやもう、年やけんな」

確かにうちの両親よりもご高齢だし、数年前、腰を怪我してから、その腰はどんどん曲がっていき、小柄なキムラさんはさらに小さくなっていた。

それでも頭はしっかりしてらっしゃるし、自分でお買い物に行き(帰りはタクシー)、庭のお手入れもいつもきれいにされていた。

私たちが越してくるずーっと前からいらして、ご主人を亡くしており、お子さんはいらっしゃらない。
それで時々、姪っ子さんが来てたのだ。姪っ子さんといっても私より少し年上だ。

聞くと、火曜日にはもう行くという。
そんな急に?

「キムラさん、施設はどちらになりますか?  私、会いに行きます!ヨシムラさん(仮名)と一緒に会いに行きます!」

ヨシムラさんは、もう一つ奥のキムラさんのお隣さんだ。
私んち、キムラさん、ヨシムラさんちと同じ家が並んでいて、それぞれの花壇の花を愛で合ったりする仲だった。

「へぇ、それはかまんですよ。ヨシムラさんにもお伝えしてくれる?」

どうやら近隣のどなたにも言ってないらしい。菓子折りを持ってご挨拶に行くのもできないからと。

聞けてよかった。
知らない間にキムラさんが居なくなってたら、それこそ今よりショックだっただろう。

施設の詳しい場所などは、明日また姪っ子さんとそのご主人、またキムラさん側の姪っ子さんも来るから、聞いてほしいということだった。

あと、うちの娘の話なんかもした。

〇〇娘の名前ちゃん、お仕事は何しよるん? 〇に〇って書くんやったな」

娘の名前の漢字まで覚えていてくれた。
いつ言ったっけな、キムラさんに。
小学生の頃から知ってるんだもんな。
ありがとうございますキムラさん。
でも娘は未だ学生なんですよ……。

翌日、仕事を終えて帰ってくると、
姪っ子さん達の車があった。
早速お声がけをし、キムラさんと直接お話ししたこと、ずっとお世話になっていたことなどを伝えた。すると快く施設の場所やらを説明してくれ、その経緯も話してくれた。

「もうおばちゃん(頑張らんでも)ええよーって言うたんです。もし一人でなんかあったら、もう私がたまらんのです……」

そう思われてキムラさんと話をし、施設をあたったら、ちょうど空きが出て、トントンと話が進んだそうだ。

聞き耳を立てている時は、きつい感じがしたし、十分に怪しんでいたが、ご主人も普通にいい方だった。

そして火曜日。
朝のうちに病院も済ませ、そわそわと隣の気配を伺っていた。
時々外に出て、ちらちら確認したりした。

あ、もう行かれる!

玄関を飛び出し、冒頭へ戻る。

「お元気で」

「長い間お世話になりました」

お世話になったのはこっちだ。

さみしい。
悲しいというよりさみしい。
涙がこぼれそうになった。

「行ってらっしゃい」ではないな、帰っては来られないもの。

でも、会いに行きますからね!

遠ざかって行く車をひとりずっと見送った。

翌日も翌々日も姪っ子さん夫妻は後片付けに来ていたが、もうお声かけはしなかった。

昨日あたりからすっかり静かになった。
夜、明かりの灯らないお隣。

どんどん時は流れる。
街の姿も変わっていく。
そこに住む人々も。

変わらない何かが残っていくのだろうけど、それってなんだろうな。

キムラさんちに咲いていた花。
白くてかわいい花。
タマスダレっていうらしい。

彼岸花の一種のようだ。

秋が来たんだなぁ。



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