親父の一番長い日
「君に娘はやれん!」
「あ、お父さ……」
ピシャッ!
カズオは腕組みをしたまま、鼻息も荒く茶の間に戻る。
小さな箪笥の上の小さな仏壇の前に座り、チンチーンと鈴を叩いて写真のノリコに話しかけた。
「母さん……。どうしたらいいかな。
わかってるんだ。
イズミは今度、プロジェクトの主任を任されたそうだよ。
偉いもんだな。しっかりしてるからな。
もう俺がついていなくても大丈夫なのはわかってるんだ。でもさ、母さ……」
マサキは、ピシャッと閉められた玄関の前でため息をついた。
が、すぐに思い直し、ネクタイを締め直しながら小さくかぶりを振った。
「いや、ここで引き下がるわけにはいかない」
ピンポーン
「でもさ、母さ……またアイツか!」
カズオは立ち上がり、ドカドカと玄関へ向かった。
磨りガラスの向こうにマサキの姿が薄っすら見える。
「お、お、♪おとぉーーさーーんおとぉさん!」
ガラガラッ!
「『魔王』のそれでくな!」
ピシャッ!
「あーシューベルトじゃなかったかー」
マサキはおでこにぺちっと手をあてた。
「ひけらかすな!」
カズオは半分彼の声に感心しつつも、イライラと茶の間に戻る。
「母さん……」
再び仏壇の前に座りかける。
ピンポーン
カズオは中腰の体勢から立ち上がり、またズカズカと玄関へ向かう。
ガラガラッ!
マサキの真っ直ぐな瞳がカズオを見つめている。
ポチ
マサキはスマホをタップした。
「お父さん、僕はイズミさんを大切に思っています(♪バタフライー今日はー今まーでの)イズミさんはとても優しく素直で、いつも人のことを思って(♪どんなー君よーり美しいー)」
「……」
俯くカズオ。
「そんな野に咲く白い花のような、可憐なイズミさんが、僕は、僕は本当に(♪白いー羽でーはばたーいてく)」
「『CAN YOU CELEBRATE? 』だったらな!」
ピシャッ!
「奈美恵の方かーーー」
ピンポーン
ガラガラッ!
「♪イズミを嫁に(ポロン)もらう前に(ポロンポロン)言っておきたい(ポロロン)ことがあるー」
「古い!
ほんでなんで上から目線なんや!」
ピシャッ!
マサキは七三に分けた髪を元に戻し、そっと伊達メガネを外した。
しばしの時が流れた。
辺りは暮れなずみ、ぎこちなく今日の日を終えようとしている。
カズオはへたり込むようにヨウコの前に座っている。
「わかってるんだ……」
ピンポーン
「おのれーーーっ」
カズオが立ち上がって玄関へ向かおうとした時、奥からズカズカとイズミが出て来た。
「なんの茶番や!どいて!」
イズミは父を押しのけ、そのままズンズンと玄関へ向かった。
ガラガラッ!
「あんたもスッと入って来いよ!」
イズミは顎でマサキを促し、茶の間から続く食卓へと向かった。
「お父さんも早よ座って!シチュー冷めるわ!」
マサキは恐る恐る家にあがり、部屋の隅にギターをそっと立てかけた。
イズミは3人分のシチューを素早く食卓に並べ、マサキを隣りに座らせた。
カズオも2人の向かいに座る。
3人は、しばらく無言でシチューを口へ運んだ。
「美味いな。母さんの得意料理だったな」
「お母さんから教わった」
シチューを食べながらイズミが言葉を返す。
マサキは籠に盛られたパンの方へ、手を伸ばしては引っ込め、引っ込めては伸ばしを繰り返していたが、ついには一つガシッと掴んで手元の小皿に載せた。
イズミはスプーンを置いた。
そうして真っ直ぐにカズオを見つめて言った。
「お父さん、ずっとありがとう。
高校の時も、3年間、毎日お弁当ありがとう」
「い、いや……」
「卵焼き、いつも焦げてたけど美味しかった」
「……」
「私、マサキさんと結婚します!
結婚するけど、するけど」
イズミは少し声を詰まらせたあと、笑顔で言った。
「結婚するけど、世界で一番好きなのはお父さんだから!」
カズオは目を見開き、滂沱と涙を流した。
写真のノリコが笑っている。
「はい、カーーーット!」
「クランクアップです!」
パチパチパチパチ!
(『蒲田行進曲』が流れる)
拍手の中、カズオ、イズミ、マサキに花束が渡される。
3人は笑顔でそれを受け取り、スタッフに促され出口へと向かう。
助監督がカズオに声をかけた。
「映像はお式のあとに流しますので!」
カズオは花束を抱えたまま、満足そうに頷いた。