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ナナメの存在

サードプレイス

この表現に近いのかもしれませんが、ナナメの存在という表現が好きで、よく使っています。
意味としては、親でも上司でも同級生でもない。
「信頼や安心できる他人」というニュアンス。

利害関係なのか?

利害関係とはいえ、同級生でも上司でも、優越関係などにあると一般的にはいえるけれど、そういった関係を超えることもあるんじゃないかな?と最近思うところです。
先日、前職の職場に届いた郵便物を取りに行くと、以前と変わらぬあたたかさで、誕生日プレゼントまで準備されていたりしました。

これも思い込みか

この人は、利害関係があるから付き合ってくれているんだなとか
これに、これだけのコストはかけてくれないだろうなと思うけど
提案が自分がおもっていたより魅力的だったり、自分が思いもしない価値や意味を感じてくれていたり。思っている以上の優しさや、その人の当たり前があったり。
自分の思い込みはまだまだ狭いのかもなと、思う事がちらほらあります。

移動と助け合い

年末に読んだ本「きみのお金は誰のため」での話が、腹落ちしているようなまだのような。
絶対量はかわらなくてただ移動しているだけで、本質は助け合いである。という風に私は今時点で読み取りました。

でも、最近は説得するのを意図的にやめていて。みたいな話を聞き
「いいじゃん」といったところ、少し違ったニュアンスだったようです。

人は人だから。思うままに生きなさい。は行き過ぎると「自己責任」が強くなるんだよね。思う事はあっても、説得する気が失せちゃって。と。

結局、何の願いのためだったのか?を見せ合う事が大切なんじゃないかな、とかいってみたものの、まだまだ真相は闇の中…

まだまだ知らない世界があるんだよね

このことを忘れぬように、わかった気でおりすぎずに生きていく心を忘れずにいたいなと思う日でした。

登場人物が、ちょっと似てるとこあるかも。と紹介され
まだしっかり腹落ちしない部分もある。それでいい、

とりあえず、大学院の論文と課題、そして今後のビジョンと生活の為の戦略、今あるタスクにてんやわんやです。
一個ずつ、自分が好きな自分のために行こう、かな。苦しくない程度に。

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