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壊れゆく物。
大雪予報が出されていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は今日も引きこもり全開です。
昨日、とうとうスマホが壊れてしまいました。最近、充電がすぐになくなるので充電池だけ交換しようかと考えていたのですが、ホームボタンが反応しなくなったので天寿を全うしたのかなと思います。実は先日とある人の付き添いで救急車に乗ることになったのですが、そのタイミングでスマホが壊れたので少し怖くなりました。また、その前の日に別のとある人に勧められてとある神社にお参りに行ったのですが、その時に買ったお守りが救急車の中でかばんからほどけ落ちてきたので、それも不思議な現象でした。
この何週間の間にいくつかの物が壊れました。そして、出してきた冬服もほとんどがサイズが合わないので着れなくなってしまいました。このように過去に買った物が使えなくなって処分しなければならないということは、やはり過去との決別を意味しているのかと考えてしまいます。そして、物が壊れることによって私に被害が被るのをその物が身代わりで防いでくれたのだと、なるべくいいように考えるようにしています。
ただ、このタイミングでスマホを買い替えるのは正直かなり痛い出費になります。大学教員であれば何の躊躇もなく買えるのですが、底辺サラリーマンではその負担はかなり重く感じます。何とか修理で対応しようかとサイトでしらべてみましたがかなり高額の修理費用になりそうなので、それであれば新しいのを買った方がいいかと思っています。今使っているスマホを使い続けたい理由が別にもあるのですが、それも「決別せよ。」とのメッセージだと受け取る努力をしています。物が壊れるように過去の記憶も簡単に壊せたらどれほど楽かと思いますが、なかなか物と同じように人の心は簡単に壊れてくれないようです。しかし、その思い出の物が壊れることによって過去の思い出も壊されていくことは間違いありません。そうやって物たちが私の苦い思い出を1つ1つ一緒に持ち去っていってくれてるのだと考えるようにしています。
壊れる一方で新しいものが生み出させることもあります。先日師匠と議論した中で、将来のことについても語り合いました。相変わらず私の夢である「大学をつくる。」という妄想も話しました。今の私では本当に単なる妄想にしか過ぎないのですが、大学教員に復帰できればそこを起点にして色々なものを動かしていける青写真を本当にうっすらですがイメージすることができて、思わず感動して涙してしまいました。師匠からは「夢のある話だね。」と言ってくれたので、さらに涙が止まらなくなってしまったので、「歳のせいです。」と言いながら涙を拭っている自分がいて、なんだかそんな自分を愛おしく思ったからこれも不思議体験でしたね。
このままだと2024年は人生最悪の年だということは、ほぼ確定しそうですがもし2025年に大学教員に復帰できれば、「2024年に経験したことが今に活かされたよね。」と言える自分になれればと願っています。そして遠い将来に「この大学ができたのは、あの時の経験やその時のご縁のおかげだったね。」と言えることを今日も夢見て、今から応募書類作成に励みたいと思います。
これから大学教員になるひとには、どんな時でも夢を追いかけていくひとになってほしいと思います。そして、その姿で自分と自分が大切にしたいひとをとびっきりの笑顔に変えていくことを願ってやみません。