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『小学校~それは小さな社会~』をみました

素晴らしい作品でした。
この作品が撮られた背景や経緯については割愛します。

こちらのサイトに詳しく紹介されてます。
https://www.cinra.net/article/2412-emaryanyamazaki_iktay

本作は日本のどこにでもあるようなとある小学校が舞台です。
ドキュメンタリーは春から卒業までの1年を追っていて、1学期、2学期、3学期と進行していくので季節の移ろいが構成の変化を映えさせています。

チョークで書かれたようなフォントのアニメーションで始まる本作は、そうした「学校」の世界観に大人から子供まで見ている人が抵抗なくすーっと入っていける作りになっています。優しい入り口、やや甘口な感じの導入なのがとても良いです。

とにかく驚かされるのが、寄りや引きなど見事にフレーミングされた画面設計の映像の数々です。
いわゆる手持ちカメラの、やや荒々しいドキュメンタリータッチとは無縁。優しく、見やすく、親切、そして丁寧。
「神は細部に宿る」の精神が隅々にまで行き渡っています。
パンアップ、ドリー、映像の基礎的な手法で丁寧に撮られた映像がモンタージュされていく。
きちんと撮られて、きちんと繋がれていくからこそ、映画が「アクション」になっていく。

アクションに出来る素材量と、狙いすまされた構成にのっけから引き込まれるのです。
それが90分全編に渡って。全く飽きません。長回しもあまりなければ、タルいと感じることもない。
全てが適切すぎるくらい完璧なアクションとして成立していることに感嘆します。

そんな映像の中には躍動する子供たち。面白くないわけがない。

ランドセルが綺麗に収納されたロッカー、教室。
舞台はどこにでもある小学校だが、みんながマスクをしている。つまりコロナ禍だ。

この映画がすごいのは言葉やテロップで説明をしようとせず、撮った素材をモンタージュすることで、明確にその登場人物のキャラクターがわかることだ。

例えば落ち着きがない男の子の存在。その落ち着きのない姿に、乱雑に置かれたランドセルをモンタージュする。
そうしたことで、ランドセルが整頓出来ない男の子だと明確に示す。その男の子が注意力がない子だというのが一目でわかります。

そうした映像に対して映像で注釈を加えていく感じが実に巧みです。
「ああ、上手いなあ・・・」とうっとりするくらいに引き込まれます。

先生たちもキャラが立っている。
本編に出てくる坊主頭の先生はやたらと「成長」という言葉を使いたがります。
成長させることを是と捉え、教師道を邁進しています。
生徒の前で「殻を破ることの重要性」を説く先生は「卵以上の殻を破ってほしい」とかなり大きめの白い楕円形のプラスチックで出来た物体を頭突きで割ってみせますが、次のシーンではその先生が職員室で他の先生にこのパフォーマンスについて咎められているシーンになっていました。

とてもファニーで面白いシーンでした。一発でその先生のやや誇張気味でパフォーマンスを好むスタイルと、教師として「はみ出したい願望」があることを端的に捉えています。めちゃくちゃ面白いシーンでした。

この先生は後に保護者から「厳しい」と伝えられていることに悩んでいるシーンがあったりします。
自分のやり方が時代に合っていないことに悩んでいる。その葛藤もまた人間らしさに溢れています。

とにかく全編そうした小さな面白いシーンが凄まじく積み重ねられていくのですね。ある意味では小学校のコント集のような。あるあるではあるけども、本当に面白い。
それがシームレスで展開されていくので、とてもドラマチックに見える。つまり普通の小学校で生活することはとてもドラマチックな一年であるということがよくわかるようになっています。

その他にも黒板消しのクリーナーで遊んだり、子供の暴走というか、子供の遊び心みたいなものが適宜挿入されていくので、見ていてとても微笑ましい。

この映画はおそらくピンマイクを先生に仕込んでいたりするので、非常に音がよく録れてます。
その効果が生徒がやらかしてしまった時にカヴァーをしようと声掛けをする先生の優しさやフォローのシーンに効果的に現れています。
給食の配膳で溢してしまったりした生徒に「次はこういうことがないように、盛れる量だけ持ってあげよう」と先生は優しく声をかけていきます。普通のガンマイクでは囁きレベルの声がけなどで、鮮明に録音することは出来ないはずなのですが、そうしたさりげない声がけを記録出来ています。本当にこの声がけが小学校の先生たちの仕事の真髄と思えれるくらい、素晴らしい。そうどれだけカバーをしてあげられるかなんだよな。

基本的にはこうした「生徒がわからない」「生徒が困る」「生徒がミスをしてしまう」といった運動体に対しての「先生のアンサー」という攻防がこの映画の中には沢山あります。その攻防にどれも可愛げがあり、見応えがあり、そして小学校だけでなく、大人の社会にも通底するサムシングがあるから面白いのです。

あるシーンで、図書係などのいくつかの係の中から割り振りを決めるシーンがありました。
ある男の子が「やりたいのがない」と先生に告げるシーンがありました。
私、それがとても心にグサっと刺さったのです。
だって大人になっても必ずしもやりたいことが見つかったり、希望の部署に配属されるわけではないわけで。私がまさに就職した場所でそうだったわけで。
その限られたいくつかの当番の中で、「やりたいことがない」ことに気づいている小学生と、それに真摯に向き合ってる先生の姿に落涙してしまいました。
「ああこの子はかつての俺じゃないか」
そんなことを感じるシーンが沢山ある。心が熱くなってくるんです。「みんな、頑張れ」と思いながらも、見ながらに発見がある。
見ながら、日本の小学校はちゃんと社会の窓になっているし、社会に出るための機関にちゃんとなっているんじゃないかと段々と思えてくる。そしてどこかで自分を重ねるところが必ず出てくるのです。

その後も縄跳びが苦手だった男の子が、練習して上手くなってとてもいい顔を見せたり。
音楽でジンバルのタイミングがズレて怒られてた女の子が、泣いているも、その後練習をして、タイミングが合って先生に褒められていた。
厳しい叱りだったが、それに対しての褒め方が素晴らしい。「君がいたからいいセッションになったんだよ」と肯定してあげている。
嬉しくなった女の子が、先生の大きな背中にハグをしようと体育館を走るシーンはあまりに素晴らしかった。よく撮ったし、よく繋いだ。アッパレ!落涙!
ダメだと言われて→頑張る→練習する→みんなとセッションする→先生が的確な褒め→肯定感が増す→抱きしめる。その一連の流れが子供だけでなくとも、大人も渇望していることなんじゃないかと思えてくるのだ。

ZOOMの研修やタブレットの扱いに困ったりする先生がいたり、自分がいた頃の小学校とは変わっている場面も沢山ありますが、そうした観察も面白い。

最後の卒業、ある先生が泣き崩れる。一年間、叱ったり、褒めたり、手がかかる生徒もいたことだろう。それでも先生はそれら全部の思い出を感じて、「君たちが好きだ」と語るのです。

そうした決してシステムだけでは簡略化出来ない、不思議な生き物である多感な小学生たちに対して、丁寧に、そして根気よく見つめた先生たちが感じるカタルシスがその言葉に集約させられる。同じことを見ている我々にも感じられるのです。

この映画、構成や狙い次第では「日本の小学校教育っておかしい」っていう作りにも出来たはずですが、クルーや監督がきちんと捉えた結果「日本の小学校教育っていいところが沢山ある」というとことを感じさせる希望的観測が持てる作りになっているのも素晴らしいと感じました。

出ている人間、みんなが可愛い。
ドキュメンタリーというジャンルの特異性を発揮していたことも含めて、私が見てきた今年の新作映画でダントツのベストだと感じました。
よかったら見てほしいと思います。



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