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「変わらないって居心地がいいよね。」

はじめまして。わたしはMimi。
わたしは広島県尾道市でラテアートのカフェを経営して10年。

よく続いたなぁ。
自分でも思う。
「やめてやるぅ!」と思った瞬間なんて山ほどあった。
なんでやめなかったかって?
やめるのがめんどくさかったからかもしれない。
カフェを立ち上げる時もめんどくさい。
カフェをやめる時もめんどくさい。
めんどくさい星人なのだ。

あなたってだめね

そうね、そうかもしれない。

かもしれないじゃなくて、きっとそうなんだ。

人は変わらないでいることに安心する。

それがたとえ120%のチカラを振り絞って全力疾走する毎日だったとしても。
120%のチカラで走りぬき「ハァハァ&ゼィゼィ」と息切れしているところに、天使からこう言われたとする。

「キャパの80%にまでペースを落としてもいいよ。」

要は楽なほうに状況が変わるとしても、120%のチカラで走る毎日を変えるということは勇気がいることなのだ。なぜならばそれがその人にとっての当たり前だからだ。

私の性格上、

80%のチカラ→120%のチカラを出す=なんとかできる。

でも、

120%のチカラ→80%のチカラにダウンさせる=できない。

こういう方程式が成り立つのだ。
要は過剰なくらいのストイックな頑張り屋。
(自分で言ってしまう)

人ってしんどい方向へ向かう変化も、楽な方向へ向かう変化(怠惰は楽とは違う)も、勇気がいるし違和感を感じる。
でもここがキーなんだけど、

変わりたければ勇気を出せ!違和感を超えろ!!


自分なりにここにたどり着いた。
それができないなら、今の状態でいるしかない。
そのかわり、愚痴る資格も、ない。

でも、ペースダウンしなければならない状況に無理やり追い込まれた。そう。コロナだ。

この瞬間、わたしは120のチカラで走る意味を失った。
イベントを企画しても誰も来ない。
スイーツやランチを作っても誰も来ない。(正確に言えば一人や二人は来るけど、正直それだけのために沢山の種類の野菜を買って、何時間もかけて仕込みをして、それでも利益が何百円とか、私にはできなかった。)

そう。誰からも必要とされなくなったのだ。

アンタなんて用無しヨ!


厳密に言えば、わたしのカフェに来たい!と思ってくれてる方はいたかもしれない。でも来ないのであれば必要とされていないのと一緒なのだ。
カフェって、心の潤いだったり、ひと段落ついたときのホッとするための気持ちの切り替えのためだったり、要は生活必需品ではないのだ。
なので、今回のコロナでももれなく切り捨てられた。
よってわたしは仕事を失った。心も。やりがいも。80%どころではない。10%くらいまで落ち込んだ。コロナによってペースダウンさせられた。

でもあとひとつ、ペースダウンにわたしを追い込んだ原因がある。

脳腫瘍だ。

目が見えなくなり眼科にしぶしぶ行った。

「目が見えなくなりました。先生。特に視野の外側。車の運転も危なくなってきました。読書もできません。先生。」

検査の結果、先生いわく、

「うーん、多分脳腫瘍かも。視野の外側から欠けて行くのは目じゃなくて脳かも。農協へMRI取りに念のため行ってくれる?紹介状書いておくね。」


「いや~まさか。わたしに限ってそんなそんな。
ありえない。」

そう思いながらMRIを撮りに農協病院へ。

検査の結果を聞くとき、奥から出てきた白衣を着た先生が手にしているのは頭部の人体模型だった。

「やってまったわ、あたし。」

そう察した。


結論から言うともう今ではすっかり元気だ。
手術も終え、病気のおかげで毎日ポジティブに「死」を意識しながら生きている。結果オーライだ。
人間いつどうなるか、わからない。

というわけで人間、変わらないっってとても安心する生き物だ。
当然意識はしていないと思う。
変わりたい、現状をなんとかしたい、と思いながらも「あー、安心するー」と言いながら毎日過ごしてる人なんて多くないだろう。
でも深層心理では安心しているのだ。

でもせっかく生まれてきたのだ。
もっとアナタらしく生きるにはどうしたらいいか。

「ワタシらしさって一体、何。」

わたしはそれをずっと抱え込みながら120で走り抜けてきた。
でもコロナと病気がそれを一旦STOPさせてくれた。
おかげで自分と向き合うことができた。
やりたくないことを手放した。
手放してスペースができたぶん、本当にしたいことを始めた。
お金にはならないことばかり。
でも、心はまえよりずっと平和で潤ってる。
心の潤いがまた違う仕事を生み出す。
全てはいいように回っている。
よくないことも見方を変えていいことに捉えることができるようになっている。

わたしは自分の力ではペースダウンできなかった。
コロナと病気がそうさせてくれた。
じゃあ、コロナと病気がいなかったら今わたしはどうなっているだろう。
心が壊れているだろう。
容易に想像できる。
本当はやりたくないことをやっていたから。
時間に追われる毎日だったから。
脳腫瘍はそのSOSだったと思っている。

今も時間には追われている。
でも前の追われ方とは違う。

お祭りのタイムテーブルにどんどんコンテンツを詰め込んでる感じに近い。

ワクワクするコンテンツで一日のタイムテーブルを埋める。
一日というお弁当箱に大好きなおかずをどう詰めていこう、そんなイメージ。

ウレシイ時間の追われ方でしょ♡

Mimi

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