続かない習慣と、
わたしは、自分の芯、は持っているのだけれど、意思は弱い。
どうしても、続ける、ということができないのだ。
日記も、運動の習慣も、ダイエットも、外国語の勉強も、最近始めた編みものも、今年のはじめくらいから頑張って続けていたnoteだって、いつのまにかわたしの日常から立ち去ってしまう。
いや、そもそも「わたしの日常」って何だろうか。朝起きる時間だって、早起きの日と3度寝くらいする日では比べ物にならないくらい違うし、自炊できる日もあれば、1日ほとんどナッツしか食べてないような、偏食の日もあるのだ。
そう、そもそも、続けられないわたしには、日常がなかった。
それは多分、続けるということがいかにつまらないことかを知っているからだ。
続けることはわたしにとって、変わらない何かを作り続けるということで、大量生産のためのコンベアを毎日、毎日、同じ回数稼動させるという、そういうイメージなのだ。
もし、そんな日々に身を浸すとすれば、わたしは退屈で、どうにかなってしまいそうだ。
わたしが作りたい毎日というのは、もっと、特別で、「ああ、よかったな、」と思える日を増やすことなのだ。
そのために、ちょっとした実験を繰り返す。
例えば、家に帰る道を変えてみたり、そのままでも美味しい食べ物に何かスパイスを加えたり、色付きのマスカラを使ってみたり。
そういう実験をしていると、わたしが小説の世界を作り出しているように、小説の主人公でいられるようになって、わくわくしてくるのだ。
(たとえ、悲しいこと、いやなことがあったとしても、である。)
わたしの世界で唯一、続いていく「日々」のなかで、螺旋階段を昇り降りし、ときに小踊りする実験。
実験していくのもいつまで続くかわからないが、実験をやめるというのも、また実験である、という気楽な考えを持ち続けていきたい、と思う。
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