どうでもいいこと、よくないこと。

9月が終わって10月がきても、わたしの日々には変化がありません。増税しても、ひきこもりニートのわたしには、大した問題でもないし、どうでもいい。

最近どうでもよくなかったことといえば、18歳のときに出逢った、当時兄のように慕っていたひとと、8年ぶり?くらいに連絡がとれるようになったこと。
本当に、こころの底から、よかったこと。

当時から、わたしのことを、唯一わかってくれていて、わかっているからこそ、厳しいこととか、甘やかしかた、とか、網羅されていて、本当に居心地がよかった。
お互いに彼氏とか、彼女とかが居ようとも、一緒にいた。特に、弱ってるときは絶対にいてくれたひと。

こういうことを言っていると、彼氏や、彼女に失礼だ、とか、浮気だ、とか思われたりすることもあるのだけど、そういうのじゃない。
そんな簡単な関係じゃなかったと、わたしは、思っていたし、今でもそうだと思う。
彼氏とか、彼女とかみたいな、壊そうと思えば、壊れるようなものじゃなかったはずなのに、当時のわたしは、兄のようなひとの元からも逃げた。らしい。
らしい、というのは、連絡がとれなくなった原因も、時期も曖昧にしか思い出せないから。当時のこころの弱さのせいで、ぽっかり、忘れて、どうしても思い出せない。
兄のようなひとが言うには、ゆめから、連絡がこなくなった、俺から逃げた、って。そんなぁ、って思った。

今後も書くと思うのだけど、ぽこぽこ、と、どうしても思い出せないことが多い。
たぶん自殺未遂とか、こころが死んでしまったことが、原因なのだろうけど。

連絡をとらなくなった原因は思い出せないのだけれど、兄のようなひとのことを思い出すことは、たくさんあった。いろいろなことの節目には、必ず、思い出していたし、やっぱりつらいことがあると、助けを求めたかった。どうにか連絡をとりたかったのだけど、だれかに聞くこともできなくて、8年もの間があいてしまった。

今回はどうしてもどうしても、連絡がとりたくて、知り合いを辿って、連絡がとれるよう、願った。ようやく、連絡をとりあえた。本当に嬉しかった。その日はよく眠れた。

何年ぶりだっけ?とか、どうした?
なんかあった?電話しようか?
ゆめから連絡くるときは
だいたい限界になってて、
元気がほしいときだから。


って、なーんにもまだ話してないのに、わたしのことをわかってる。泣きそうだった。
ゆめのいいところは、ここ、変わった方がいいところは、ここ、って伝えてくれるひと。絶対否定はしないでいてくれるひと。

いろいろなこと、をまだまだ話せないでいるけど、心の拠り所にしてしまいそう。でも、もう、やめておく。人を信じることがこわいから。
こんなに感情が高ぶるひとと、再会、というか、また繋がることができたのに、こわい感情の方が強いから距離をとってしまう。
今日電話するね、ゆっくり話聞かせて、と言ってくれたのに、連絡を返すこともできない。自分の弱さと、自分を守ることしか考えられないような自分に呆れる。

なかなか前向きになれないまま10月になったし、なにもしてなくても時間が過ぎる。
朝が来ないことを願っても、願っても、朝になる。
生きることが苦しいひとたちは、いつになったら、そういうのから解放されるのか、誰か教えてほしい。

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ume
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