こんな終わり方があるなんて・・・
先月父が亡くなった。90歳の誕生日の3日前だった。
「ここは俺の家だ!俺はここで死ぬんだ!」
と口癖のように言っていた父を、大騒ぎで施設に入所させた日から1年と5ヶ月。あのときは父の介護が母と下の妹(敷地内に住む)の手に負えなくなっていた。
去年のゴールデンウィーク、入所には妹二人が付き添った。施設に着いてからも、大声で怒鳴りまくる父を横に、下の妹は耳を塞いで震え、上の妹も「まるで姨捨山みたいだ」と思ったと言う。三人姉妹の長女で実家から一番離れている私がかけつけたときは、もう家に父はいなかった。
亡くなる1週間ほど前、これが最後になるかもしれないと、県内にいる娘や孫たちみんなで会いに行った。
コロナの感染予防のため中へは入れなかったけど、スタッフの方がベッドをガラス張りの玄関まで運んできてくださり、携帯電話を使ってそれぞれガラス越しに声をかけた。
最後にみんなで手を振ると、毛布の中の手がもぞもぞと動いて、スタッフの方が毛布をめくってくれると、円を描くように手を振ってくれた。
これが父の独特な手の振り方だ。昔からよく「お丸〜〜〜!」と言って丸をつけるように手で円を描いてくれたっけ。
施設から戻った父はとてもとても綺麗で穏やかな顔をしていた。
父と一緒に届いた、入所生活を刻んだアルバムには、スタッフの方たちに囲まれて、戯けてみたり、両手を開いてポーズをとってみたり、ピースサインをしてみたり、どれも父とスタッフの方々の笑顔に溢れていて、私たちはホントにびっくりした!
入所前の最悪の日々からは考えられないことだった。
あの頃といえば、父は家族に甘えて思うように世話をしてもらえないと怒鳴り散らし、まわりは父の不機嫌に我慢できず、嫌々父の言いなりになりながらすり減っていく・・・という悪循環を止められなかった。その悪循環の中で父はいろんなことがどんどん自分でできなくなり、それに従ってどんどん家族の負担も増えていった。
でも、よくよく考えてみれば、もともと父はみんなを笑わせたり、楽しませるのが好きな人だった。最後に本来の父に戻れたのかな?
お葬式の段取りをしている最中に、届け物でみえたスタッフの方に、
「本当によくしてくださりありがとうございました。私たち家族ではできないことでした。」
と心からの感謝を伝えると、
「お父さんのことがみんな大好きだったんですよ。亡くなるとき、ちょうど お休みで会えなかったスタッフが本当に寂しがっています。」
と話してくださった。
こんな終わり方があるなんて・・・思いもよらなかった。
「無理矢理施設に入れられたまま、コロナで直接家族に会えないまま、どんなに寂しい思いをして亡くなっていくんだろう?」
「私たちを恨んで亡くなっていくんだろうな。」
そんなことばかり考えていた。
お葬式が終わって上の妹が言った。
「きっと、あれは(円を描くように手を振ってくれたのは)すべてオッケーって伝えてくれたんだと思う・・・」
仏壇には遺影と共に、最後の面会で撮った、娘や孫たちの笑顔に囲まれた賑やかな写真が飾られている。
父の命はこうしてたくさんの子や孫やひ孫に受け継がれていく。
そういえば父が入所した時、こんな投稿をしたんだった。今となっては懐かしい。 ↓