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"声なき声"を拾い上げる

町田そのこさんの新作「ドヴォルザークに染まるころ」、あっという間の284ページやった。

先月中旬に「星を掬う」を読破して以来、私は町田さんの作品を片っ端から読み漁っている。好きになったら知りたくて仕方なくなるオタク気質。

もちろん、町田さんの取材記事も調べまくった。怖

・もともとは理容師をされていて、大好きな作家さんの死をきっかけに小説を本格的に書き始めたこと
・ケータイ小説で、読者から声をもらいながら書き方を学んでいったこと
・コンテストに応募しても落選。2年間、尊敬する作家さんの小説をまるごと書き写して、自分なりの書き方を身につけていったこと

サクラ調べ

ご自身は親御さんと仲が良く、小説の主人公はあくまでもフィクション?のようだ。ならば、なぜ、こんなにリアルな心情をとことんまでに掬い上げられるのだろう。


冒頭の一文で射抜く

おこがましいのを承知で言わせてもらうと、「ドヴォルザークに染まるころ」は町田さんの代表作になるのではないかと思う。なんというか、これまでの作品とは毛色が違う気がする(ゆうても4冊ほどしか読んでへんけれど)。

「星を掬う」「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」「ぎょらん」「52ヘルツのくじらたち」を読破し、「コンビニ兄弟」を少しかじってから手に取った本書。

 なんの気なしに見た一行目に、私の好奇心が引っこ抜かれた感覚を覚える。なにこれ、すっご。

担任の先生のセックスを見たことがある。

小学六年生の、夏休みのことだ。飼育当番で、夕方の餌やりのために学校に行った。

町田その子さん著「ドヴォルザークに染まるころ」より

「うっわ〜・・・リアル」

私は元教員。夏休みとか、放課後とか、なんともリアルすぎて。20代のころ、待ち合わせて手をつないで歩くAさん(30代独身・女)とBさん(40代既婚・男)のお忍びデート現場にうっかり遭遇したことを思い出す(思わず、両手ひらひらモザイクで駆け抜けた。多分バレバレ。非常に、気まずかった)。

単なる下ネタで終わらせないところが町田さん。この、20年以上前に見た担任の情事からストーリーが展開していく。

「つらい」と言えない人たち

虐待やDV、貧困、介護・・・
町田さんの作品に登場するのは、いわゆる「社会的弱者」の人たちだ。ただ、この作品は違う。

一見幸せそうな、普通の主婦。教員生活を勤め上げた女性。シングルマザーとして、しっかりと稼ぎながら子どもを育てる母親。

「弱者」としては認定されない5人の女性たちにスポットを当て、その心情を拾い上げる。

自分と重なったのは、直情的な母に逆らえずにいる女性。彼女が吐露する心情に、「うっわー・・・同じや」とつぶやく。

母は、自分こそが正しいと信じている直情的なひとだ。そして娘は世間知らずで愚図だと思っている。わたしが下手に口を出せば「何も分かっていないくせに」とどこであっても怒鳴り散らす。

それを宥(なだ)めるのは一苦労で、黙っているのが一番穏便なのだ。

町田その子さん著「ドヴォルザークに染まるころ」より

従うのではないけれど、怒らせるとほんっとうに面倒。何度か意見したことはあるが、母は絶対に、見事なまでに自分を反省しない。娘が悪者と決めつけ、厄介なことに私を取り巻く人に触れ回るのだ。


最初は心底ムカついたけれど、反省しないのではなく、できないのだと気付いた。恐らく、娘に見通されている事実を受け止められない。

だったら、私が彼女の感情を受け止めて、便を流すように葬り去りゃいい。そう思ってきた。

ただ。

ストーリーに登場する元教員の義母と嫁の会話に、おなかの奥がツンとする。

あぁ、いたいところを突かれたな。

「佳代子さんも、言えないひとやねぇ」
義母が頷きながら言った。
「そう、ですか?」
「そうよ。あのねぇ、言えないっていうのは、いいことやないんよ」
よいしょ、と義母がわたしと真向かいになった。

「普通なら言えるところを、言えん。ひとによっちゃそれを個性と呼びます。やさしさやち言うひともおるかもしれんね。でもねぇ、誰がどう言おうと、自分自身は欠点やと思いなさい。人並みにできんことは、ぜーんぶ欠点。できなくても仕方ないんだ、なんて簡単に思うたらいけません」

町田その子さん著「ドヴォルザークに染まるころ」より

「私が我慢すれば」

自分の奥に巣食う、大っ嫌いな「自己犠牲マインド」に気付かされた。

小説を書き、昇華する

私は、母のことを乗り越えきってはいない。本音を隠すことで、ひとまず穏便に済ませているだけだ。

町田さんの小説を読み始め、私の目標ができた。70歳を超えた母がこの世を去るまでに、短くてもいいから穏やかな気持ちで話をすること。

私が抱く母への暗い感情は、私自身の問題だ。

納得させてはかさぶたが剥がれ、また納得させて新たなかさぶたを作る。根っこの傷は、うずいたままだ。

文章に起こして追体験してみようと思う。「仕方ない」で蓋をしてきた1つひとつの感情と、向き合ってみたい。

「いまから説教じみたことを言わせてもらうね。どんな事情があっても、黙って逃げちゃだめなんだよ。そうしてしまえば、逃げた側が絶対的に悪くなる。相手に言い訳の理由を与えて、被害者の顔をさせてしまう。彼らは自分がしたことを反省しなくて、むしろ、逃げたやつが悪いって恨む。」

中略

わたしは、闘っていいのだ。闘い続けていい。おかしいと思えば声を上げていいし、間違っていると思えば怒っていいい。それを続けていれば、分かってくれる人も現れるじゃないか。

町田その子さん著「ドヴォルザークに染まるころ」より


私みたいに、「仕方ない」って折り合いをつけて生きている人、多いんちゃうかな。いまさら母とバトる気はないけれど、好き勝手言われっぱなしはやめようと思う。

ちょっとずつ、ね。

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