懐かしい漫画がいまも続いている「猫の嘴」第24回#ふしぎ遊戯白虎仙記
気づかぬうちに玄武開伝編は終わってしまったようです。冒頭というより最初の「ふしぎ遊戯」で玄武の巫女は悲劇的な最期を遂げたような描写があったので、悲しい結末になったんでしょうね。
子供のころから読み始め、「妖しのセレス」ほどの悲劇にはならないだろうと期待しつつ、毎回少年漫画も真っ青の戦闘シーンや憎悪表現満載なので、~白虎仙記~も悲しい展開なんだろうなと思いつつ読み始めてしまいました。そもそも私が物心ついたころに「ふしぎ遊戯」は連載が始まっていました。読んだときにはもうすでに完結していたのではないかと思います。「妖しのセレス」をアニメで見たのが先だったような?アニメ化してますよね?記憶が定かではないです。
玄武の次がこの白虎なんでしょうか?朱雀と青龍を合わせて最初の「ふしぎ遊戯」でしたよね?読みながら、記憶がよみがえってくるような、ほとんど思い出せずにもやもやするような変な気持ちです。
白虎編が完結しているかも知らないまま読み始め、ウィキペディアであらすじを検索してしまいました。思った通り「ふしぎ遊戯」と「玄武開伝」に既出の登場人物がいます。ただ、その整合性を確かめるために「ふしぎ遊戯」を読み直すに至っていないです。今は電子書籍でも読めるのでしょうが、電子書籍だと紙の本より照らし合わせるのがめんどくさそうですよね。紙に書きだして確かめるぐらいしないと。
「ふしぎ遊戯」の時代は元気でおっちょこちょいで露出多めな女の子が漫画で人気だったような気がします。私は中学生くらいから漫画を読み始めたので、1990年代の漫画についてはアニメのイメージしかないのですが。アニメの女の子はみな溌剌としていました。今は男の子も女の子も暗いのかな?作者の趣味というより、世間が控えめな人物に好印象を持っている気がします。しかし、実際、今の時代に控えめで自分で行動を起こせない人だと社会で埋没するどころか、生きていくのも困難ですよね。SNSが使えなくても、話題についていけないのも大変です。
今度の主人公は幼いうちに「四神天地書」に吸い込まれ、再び現実世界に戻ってきます。その現実世界は、玄武編と同様の大正時代で玄武の主人公だった多喜子と白虎の主人公の鈴乃は知り合いです。
ネタばれになるので、あらずじは書きませんが、今回も多くの人が亡くなります。もはやバトルものというよりサスペンスかSFとして受け入れています。おとなになったら、、子供の頃より割り切って読めますね。