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人生の大半を○○として過ごすなんて耐えられない ~星の王子さまを読み終わったあとの人たちへ~ ⑩

やがてお姫さまは、料理番組、園芸番組、動物番組、世界紀行番組、YouTubeチャンネル、猫が好む動画までテレビやスマホの画面で見るようになった。そこでそれらの番組を見て、暇をつぶしたり大きな賢い犬たちから生き方を学んだりするようにした。

最初に好きになったチャンネルは、王さまのように大きい犬が山の家に住んでいた。垂れた耳に白い毛皮をまとって落ち葉を掃いた美しい庭で掘った穴の玉座にすわっていた。
「わあ、なんて威厳のある犬なんでしょう」
大きな生き物を見つけて、お姫さまは小さな声でにゃあと鳴いた。お姫様は不思議に思った。
「この四角いテレビという箱には本当に王さまはいないのに、どうして王様が大きくて素晴らしいことが伝わってくるのかな?」
お姫様は知らなかったのだ、一度も会ったことがなくとも、文字や映像で、王さまみたいな世界のすばらしい生き物と出会うことはかんたんで、人間はそういう風に物事をかんたんにするために難しい勉強をたくさんしているということを。
「もっとよく見えるように、近づいて見てみよう」
風の音と鳥の声と犬の鳴き声が途切れた時、お姫様はソファを降りてテレビの画面の前に立った。

お姫様はすわるところを探したが、乗ってはいけない机に乗らないとテレビ画面と同じ高さになることができなかった。もちろん私に怒られた。それで首をあげたままでいたのだが、疲れてついあくびが出た。
「王様の前であくびをしてしまったわ」
お姫様はつぶやいた。
「あくびはしないで、じっと集中して見ていましょう」
お姫様は自分に誓った。
「でも、我慢できないわ」
お姫様はあくびをしてかしこまって言った。
「ずっと見続けていると、眠れないもの・・・」
「そうだ」
お姫さまはひとり言を続けた。
「あくびを許しましょう。猫の中で暮らしていないと、もうずっとあくびをするところを見ていないもの。ねえ、あくびをして見せて。興味があるの。さあ!わたしがあくびをするから、君もやって。命令よ」
「そんな・・・急に言われても・・・緊張してできないよ・・・」
お姫さまに急に命じられた私はこまってしまった。
「えへん!えへん!」
お姫さまは咳払いをした。「それでは・・・こう命じる。ときにはあくびをし、またときには・・・」
お姫さまは早口になって、少し言いよどんだ。どうやら、不愉快になったらしい。
というのも、猫はなによりも自分の誇りプライドが守られることを望んでいたからだ。命令に従わないなど、がまんならない。画面の中の王さまよりお姫様の方が絶対君主なのだ。けれどもお姫さまは性格のいい君主だったので、無茶な命令をだしたりはしなかった。
「もし、わたしが」となめらかな口調に戻って、お姫さまが言った。「もし、わたしが君に犬になってと命じて、君が従わなかったとしても、それは君のあやまちではないでしょう。わたしのあやまちでしょう」
「私もすわって動画を見てもよろしいでしょうか?」
ソファに腰を下ろしかけていた私は、おずおずとたずねた。
「すわるよう命じます」
お姫さまはそう答えると、わたしが敷いてあげた白いクッションの端をおごそかに引き寄せた。
わたしは、驚いた。その仕草がほんとうに犬の王さまのようであったからだ。お姫さまがいったいこの家で何を治めているというのだろう。
「陛下」
わたしはお姫さまに声をかけた。
「おたずねしてもよろしいでしょうか・・・・・」
「たずねなさい」
「陛下は・・・なにを治めていらっしゃるんですか」
「すべてをよ」
いともかんたんに、お姫さまは答えた。
「すべてを?」
お姫さまはさりげない身振りで、リビングの中を、開いた扉の隙間から見える台所を、窓に映る庭を、ぐるりとぜんぶを示した。
「このすべてをですか?」
「このすべてをよ・・・」
お姫さまはこたえた。このお姫さまは、絶対君主であって、この家の中の君主であったわけだ。
「じゃあ、みんな陛下に従うんですか」
「もちろんよ」お姫さまは答えた。「ただちにしたがってもらうわ。従わないことは許さない」
あまりの横暴に、私はびっくりした。いつの間にか、私は猫のお姫さまの臣下になっていた。もし、猫にそんな力があるというなら、人間の本物の君主は、世間のうわさ話を七十五日どころか、1日たりとも許さず、世界から悪口なんてなくしてしまえるだろうに!お姫さまはあんまりえらそうにしたので、すこしきまり悪くなって、ちょっと甘える感じで、足元にすり寄ってきた。
「そろそろ日暮れ時だから・・・夕陽を見たいの・・・お庭の見回りもしたいし、家の中の扉をすべて開けておいてくれないかしら・・・」
「もしわたしが、あなたに蝶々のように花から花へ飛べとか、悲劇を一作書けとか、海鳥になれとか、将軍になれとか命じられて、できなかったら、あなたは私を許さないで出ていくの?」
「出ていくかもしれないし、出ていけないかもしれないわ」
お姫さまは、曖昧に答えた。
「出て行かないと約束して。人にはできることとできないことがあるし、その人ができることを求めなくてはならないのよ」私は言った。
「そうね。権威というものはなにより道理にもとづくものよ。もし、人民に、海に行って身を投げろなどと命じたら、革命が起きてしまう。私の命令がこの家の中の道理に基づいていればこそ、君に服従を求める資格があるのよ」
お姫さまの論理の飛躍がひどい。どうして、私がお姫さまに従わなければならないのか。
「それで、お願いした夕陽は?」
一度質問したらこちらが答えるまで決して忘れないお姫さまが、話を戻した。
「夕陽はみせましょう。でも、ちょっと待ってください。状況が好ましくなるまで待つのが、統治のコツです。」
「待つっていつまで?」
お姫さまはたずねた。
「えへん!えへん!」
わたしは、戸棚からキャットフードを取り出しながら答えた。
「えへん!えへん!・・・だいたい・・・だいたい・・・夕陽が落ちるのは夕方の6時前頃からでしょう。それまでに、あなたはごはんをすっかり食べなければならないの」
お姫さまはあくびをした。そんなに待っていられるわけがないからだ。夕陽を見られなかったら残念だ。そして、もっと残念なことは、そんなにいっぺんに食事を終えることはできないからだ。少しつまらなくなってきた。
「もうひと眠りしようかな」
「君を大臣に任命するから、テレビを消しておいて」
「わたしが見たいから消すことなんてできません」
「消さなかったら、法務大臣に君を裁いてもらうわ」
「うちには法務大臣なんていません!」
わたしは叫んだ。お姫さまは上目遣いに私を見て威厳のある態度で言った。
「わたしはこの家に来てから見回りを欠かしたことなんてないのよ。ごはんがどうとかいうけど、ごはんをいっぱい食べたら、歩くのに疲れるわ」
「窓の外には猫の子一匹いません!」
「そういうことじゃないのよ。君が私に見回りをさせなかったら、君は自分で自分を裁くことになるわ」「これはもっとも難しいことよ。他人を裁くより、自分を裁くほうがずっとむずかしい。自分をきちんと裁けるなら、君は賢者ということよ」
そんな真理を語るお姫さまの方がずっと賢者のようだ。知らなかったが、猫は賢者だったのだ。まぶたのおちかかるお姫さまを見て私は、すぐに我に返った。
「誰もが必ず従うことをお望みでしたら、陛下はわたしに、道理にもとづいた命令をお出しになればいいんです。たとえば『1分いないにごはんの準備をせよ』って。ごはんを少しでも食べたら見回りをして良いわけですし・・・」
お姫さまがなにも答えなかったので、私はちょっとためらったものの、ごはんに蓋をして、お姫さまをそのまま寝かせてしまうことにした。
「そちを大臣に任命する・・・」
お姫さまが寝言をいった。
「猫ってきまぐれだな」
わたしはつぶやいた。

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マガジンが増えて収拾がつかず、普段の日記と区別するために有料にすることにしました。 素人短編を書いていこうと思います。内容の保証はできませ…

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