東と西の薬草園 ⑧-4
差し入れというのはありがた迷惑の場合もある。果物のおいしい季節になった。
峠道の貸庭に大量の桃と梨と葡萄が届いた。
「余ったから」
「わー、ありがとうございます」
カエルは調子良く、喜んでいそいそとトラックに積まれてていた大量の果物を降ろすのを手伝った。
とは言え、もう時期も終わり頃。傷んだ果物は日持ちしない。
遥と霞とみどりが駆り出され、カエルと一緒に大量の果物を料理することになった。
「ゼリーでしょ。梨は蜂蜜で煮れば良いかな。ぶどうはジュースにして皮を干しておこうか?本当はワイン何か作ってみたいんだけどなぁ?いや、普通の果実酒でいいか。冷凍庫がたまたま空っぽでよかったね。うん、桃のシャーベットを作ろう。ヨーグルトとか必要な材料を買ってくるよ」
カエルは、ハルカたちにできることをぶつぶつ独り言のように指示を出し、そわそわした様子で買い出しに出かけていった。
「カエルはうれしそうだけど、いっぺんにこれだけもらったんじゃ、ちょっとありがた迷惑だよね」
まず、どの果物から手をつけようかと迷うような有様で、霞がため息をついた。
「かえるくんが喜んで受け取っちゃったから、来年はもっといっぱい来るかもね。お礼のことを考えているのかな。」
遥も思わず流し台に両手をついて天井を仰いだ。果実町で育った遥も霞も子供の頃から果物を食べ飽きている。フルーツフレーバーティーの紅茶は果物の味がするくらいだから、毎日でも、飽きが来ないが、決まったシーズンに大量の果物を消化するとなると、果物が嫌いでなくても、なんとなく作業のような気持ちになる。
「霧山酒造の酒でも送っとくか。副町長の杉村さんからもらったって言ってたから、どこの農家さんから集めてきたのか、住所聞いてやっとくよ」
「ありがとう、助かるよ。さあ、作業に取り掛かりましょうか?」
「あのう、かえるくんは言ってなかったけど、ドライフルーツにもしていいかしら?パウンドケーキの具材にしたいのよ。ごめんなさいね。私もちょっとこんなにたくさんの果物を見ると、ウキウキして浮かれちゃって」
みどりが申し訳なさそうに提案してきたので、2人はばつが悪い思い出しながら、どうぞどうぞと了承した。人から貰い物をして、うんざりする方がよくない心持ちだ。せっかくなら喜んだ方があげた方が喜ぶ。
「どうせならそのままロッジの泊客にも配りましょうか?とはいえ、そんなに沢山もいないけど」
「うんうん。とっても喜ばれると思うわ。山鳥の川辺旅館にも香さんに持っていってもらったらどうかしら?」
他所から来た人には、もぎたての果物は気持ちとしても新鮮かもしれないと遥も気分を変えて提案すると、みどりがうれしそうに応じた。
「どうだろうなぁ。旅館のほうは、旅館の方でもらいものがたくさんありそうだけど」
香に一応聞いてみるがあんまりたくさん残さないで、とりあえず料理してしまった方が良いと霞に言われて、3人はようやく黙々と作業を始めた。しかしながら、張り切ったカエルが大量の食材とともに帰った頃には、果物を洗ってむいて、切って煮込んで、干したりして、一見単純なような作業を繰り返しているうちに疲労困憊になっていた。
「ごめん。カエル。一旦休憩させて」
「わかったよ。長く買い物してきて悪かったね。今お昼ご飯でも作るから」
「いいよ。いいよ。カエルくんも買い物してきたばかりで、疲れているでしょう。私たちは、その辺の果物でも適当につまむから」
「いやいや、俺が何か作りたいだけだから。フルーツピザもいいよね。それじゃ時間がかかるか。焼いている間に、先に食べられるものを作っておくわ。その頃にはジュースもキンキンに冷えてると思うよ。冷凍庫に入れとくね」
張り切っているカエルにそれでも手伝うとは3人は言わなかった。8月の猛暑である。いくら室内で冷房が効いているとは言え、ずっと調理していると、汗が吹き出して日ごろの何倍も疲れてしまった。
「やっぱりこんなに大量の果物もトラックいっぱいに持ってくるなんて、嫌がらせなんじゃないかしら」
「あら、お中元のお礼に梨ををいっぱい、あちこちに送ったから、そのお礼なのかもしれないわ。その時もお土産の果物をたくさんいただいたけど」
勝手知ったる富居のお屋敷のリビングには山鳥の会長夫人・華の姿があった。いかにも、避暑地を訪れた上流夫人の装い・・・ではなく、午前中いっぱい庭作業していたので疲れてしまい、エプロンを外したものの、Tシャツジーパンの質素な格好をしていた。来ているTシャツとジーパンは孫の香のだから、可愛らしいキャラクターデザインで着古してもいる。しかし、それを厭うこともせず、疲れが見えるものの、清々しい表情で華は寛いでいた。
本当は、果物の件がなければ、遥達も庭作業するつもりだったのだが、果物が来たので、「あなたたちは庭作業なんて飽き飽きしているでしょう」と華が気を遣ってくれたのだった。しかし、半日で遥たちは飽きるほど果物の皮むきをした。果物の汁が手についた感覚は、数日は消えないだろう。
遥たちにあまり良い感情を持っていない杉村が純粋に行為だけで、大量の果物をトラックいっぱいに積んでやってきたとは、遥にはどうしても思えなかった。しかし、嫌がらせにしては、果物を集めて、トラックに乗せる労力がかかりすぎている気もした。
「お礼何でしょうか?そうしたら私たちが勝手に果物を料理したり、配ったりしちゃいましたけど、悪かったでしょうか」
「いいわよ。どうせ食べ切れないんだからありがたいわ。いろいろやってもらって」
華は鷹揚にうなずいた。その華から強く、ミントが香る。日焼けケアに良いと遥が作り置きしておいたミントスプレーをすすめたら、すっきりすると言って、華は全身にふりかけてしまった。
「さぁできました。桃のカッペリーニですよ。暑い夏にぴったりの自信作です」
暇を持て余し梨と桃と葡萄を遥が籠に盛って食卓に飾ったところで、タイミングよくカエルが出来上がった料理の皿を台車に乗せて持ってやってきた。
「デザートとジュースも持って来ますからね」
「わかった。それは私がとってくるよ。チョコレートソースをかけたいと思ってたんだ。そのうちチョコレートソースも私の部屋からとってくるから。とってもオススメだよ」
現金なもので、おいしそうな料理の香りを嗅ぐと遥達にも元気が戻ってきた。
「ジュースじゃなくて、ワインでもいいなぁ。美味しそうだなぁ」
はるかと一緒になって、大量の果物は嫌がらせに違いないと言っていた霞もいそいそとテーブルについた。
「本当に爽やかでおいしいわ。クリームチーズは、酪農家さんのお手製でしょう?こんなに新鮮でおいしいものがいただけるなんて、果実街が特別ね」
「レストランに出せなくて残念だ!裏メニューにしたいけど、その頃には桃の時期は終わってるか?」
華が手放しで褒めると、調子の良いカエルは謙遜もせず、鼻を高くした。遥がチョコレートソースを取りに行くついでに庭から連れてきた野人は最初不機嫌だったが、孫の料理が大好きなので、食べ始めると黙々と誰よりも速いスピードで口に運んでいた。
野人が熱中症の危険もかえりみずあまりに最近庭仕事に没頭するので、カエルとの仲はギスギスしている。この夏の連休に、祖父と旅行すると言っていたのに、それどころか、2人で並んで庭作業をすることもなくなった。「俺が言うと、じいちゃんは意地になってには作業をやめないから。じいちゃんは俺より庭やガーデニングが大事なんだよ」泣き出しそうな顔で、そんな口をカエルが漏らすものだから、野人に庭作業を中断させるのは、最近遥の日課になっていた。
「この庭は老い先短いわしの楽しみなんよ。そぎゃん楽しみに、皆さんにしてもらえるように、できる限りのことはしておきたかかとよ」
野人の言い分はわからなくもないが、精力的に動き回る野人の事は客だって心配している。庭の中で、心筋梗塞でも起こして倒れてしまうのではなかろうかと、みんなハラハラして見守っているのだ。
その気持ちを野人はどれくらいわかっているのか。みんなのためと言いつつも、自分を曲げないのは、やはり年寄りのプライドが邪魔しているのではなかろうか。
「ピザも作ったんですよ。よければそちらはみんなで夕食にしませんか?果物の処理に夕方くらいまでかかると思うので」
「何?ピザのあっとね。それは、わしも酒の飲みたかね」
「たまには飲めばいいよ。適量は薬なんでしょ?飲み頃のじいちゃんの果実酒があったよね。みんなに振る舞おう。みどりさんもハルさんも。ヤマさんも飲んでよ。今日は俺が車で送るから」
「それはありがたいな。じゃあこれから精が出るってもんだ」
「なんね。カエルの久しぶりに優しかね」
「優しくないよ。そのかわり今日頑張ったら、明日はじいちゃんは"野人ガーデン"をお休みしてよね。明日は1日寝とくんだよ」
「仕方なかっ。そのかわり、今日飲むなって言わんとなら」
カエルが目を細くしてきつい口調で言ったので、周囲は一瞬緊張したが、野人が素直に応じたので、一斉に安堵した。なんだかんだ言っても、野人は孫のカエルにとても甘い。顔立ちもそうだが物事に没頭して無理してしまう性格は、2人ともよく似ていた。
「じゃあ私は、野人さんにご指導いただいてもう少しだけ庭に出てみましょうかね。秋バラを咲かせたくて来たんだから」
食事を終えて立ち上がりかけた野人の背中に回って、華が明るく応じた。会長夫人には申し訳ないが、華が側にいてくれれば安心だ。
他のみんなで再び果物の作業に戻り、ミドリの提案通り、ドライフルーツを増産した。
洗って干して、甘い香りがあちこちに広がった。
その晩の夕食も甘かった。桃のピザに、梨を隠し味に使ったマルゲリータ。猛暑の疲れを癒す、甘い甘い夕餉だった。