すべてが終わった時どうやって再スタートを切ればよいだろうか
世界から不幸がなくならなりません。疫病に戦争、災害に軍事政権、それほど大規模なものでなくても、不幸は人それぞれで生き物の寿命は決まっています。
たとえ直接的な命の危機が去っても、大不況が訪れれば多くの人が仕事上での困難に見舞われるでしょう。死の恐怖に打ち勝つことは難しく、また生活状況を好転させたいという気持ちはいかんともしがたいものがあります。
もし、世界情勢がある程度、落ち着いていたならば、多くの人に夢を見る権利が許されていました。音楽スターでもハリウッドスターでも一攫千金を夢見て挑戦できたはずです。
「SING」が語る夢への気持ち
世界を変える力が個人の才能によるのであれば、それは軍を動かす力でなく、平和への躍動であってほしいです。
ギャングの一家に生まれたゴリラさん。
子だくさんで毎日主婦業に明け暮れていてブタさん。
彼氏とバンド活動していたけれど、その彼氏がどうしようもない自尊心お化けのヤマアラシさん。
ギャンブル依存症で詐欺師のネズミさん。
才能はあっても自信はなくて、応援してくれる親にもはっきり言いたいことが言えずに委縮してしまっているゾウさん。
そして、劇場運営に情熱を燃やし続ける借金まみれムーン劇場支配人のコアラさん。
みんなが人生に困難を抱えている中で、誰かの人生を変えたような数々の名曲を動物に身を扮した誰かが歌い上げてくれます。
劇場の電気代も払えて、考えたら音楽って電気の通っていない時代からあるんですよね。
「父さんがよく言ってた。恐怖に負けて夢をあきらめるなって」
今この言葉で立ち上がれる人がどれだけいるでしょうか。恐怖というのはいろいろあります、先にあげたような自分ではどうしようもない規模の戦争や疫病や災害に対する恐怖、病魔、経済苦、いずれかのものに多くの人が人生で対峙しなければなりません。
両親に託された夢。
自分で見つけた夢。
ただ人生を変えたいというだけの夢。
誰かが自分に与えた夢。
その夢を見る権利さえ奪われる世の中で良いでしょうか。
自分自身が夢を見る権利はどうやったら、奪われないことができるのでしょう。
「どん底に落ちたら上に上がるだけ」
そんな言葉がまるで夢物語のような気がします。底なし沼の中で希望の光を見いだせないまま多くの人々が死んでいく、そんな世の中で良いのでしょうか。
がれきの中でジーンズとトレーナー姿で歌っているゾウさんには、少なくとも未来があります。その姿をめがけて爆弾が落ちてくる危険はありません。
産科小児病院が爆撃されたということは、まだ夢を見る前に揺り籠の中の子供たちとその子供を見守る母親たちがうたた寝すら許されずに、命を脅かされたということです。
世界はもう夢を見ることができないのか。
爆撃の危険のない世界でなければ、人々は瓦礫の上でも歌うことはできません。国を盗まれたら、多くの同胞を前にして生の演奏を聞かせることもできません。
人生に打ち勝った証も自分が生きていることすら証立てることができないのです。
世界は変革を望んでいるでしょうか。経済苦で飢えて死ぬかもしれないですが、その最中でも布団の中で筆を持つことも許されない、爆撃の危険に怯え、歌うことも語ることもできません。
映画の中では登場人物の夢は大抵叶い、多少の罪は許されてしまいます。しかし、映画の中の人物であってもセカンドシーズンまでにはまた掴んだ夢を手放して再び困難に陥り、新たな夢を見たり、ただ人生の穏やかな旅に戻ることもあるでしょう。
映画のように廃墟と化した劇場が再生する日はいつになるのでしょうか。
うちの中で安全に過ごすことも映画を見ることもできない方々の安否を祈る日々です。