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久々に一気に読書をした 家族の話 おすすめ3冊
1.雑感
まず関係ない話からしなければならない。
私は、子供の頃にピアノを習っていた。
先生から姿勢が悪いとしばしばいわれていた。そのおかげか小学校の高学年頃には姿勢が良いと周りから褒められるくらいになっていた。
3歳から習ったピアノの唯一の成果である。
昨晩、母と姿勢の話になった。
突然、壁に背中をつけて立てと言われてその通りにした。どこも体は痛くないかと聞くので、腰が痛いと答えた。けれども、それは母が予想した答えではなかった。持病で胃腸が弱い私は、ただ座ったり横になっているだけでも腰が痛いのである。
母はそうやって立つと、首が痛くて気持ち悪くなったりするという。いわゆるストレートネックなのではないかと私は思った。
スマホが浸透して若者に多くなっているという症状で、若者でなくとも常にスマホを見て生返事をしない母には当てはまっている。私は時折自分の体が横に傾いているなと感じることがあるが、立てないと思うことは具合が悪いとき以外にはない。
しかし、10年近く前に東京で働いている時には、姿勢がよくないように思われていたようだ。今考えると、直立不動で暗かったのと、背が低くて、下に視線が行きがちだったせいだろう。他人の目を見て話すタイプじゃないのだ。
私の雰囲気についてとやかく言う人たちの方が、PCに依存して前かがみだったに違いない。新卒のまだ社会を知らない若者に好き勝手言ってくれた先輩方に、時を超えて言い返してやりたいくらいだ。
流行がそれに慣れない人を、正しくないものとして追いやるということはある。もちろん、姿勢と同じような話である。
私は、今日読んだ本に影響されて、一文をなるべく短く書いている。読点が一文に何回もあるような文章は洗練されていないという風潮があるように思う。
実際、これを書いている私も、何だか小説家っぽい文章を書いている感覚を味わっている。けれども、一方では気持ちが悪い。
文章がぶつぶつ切れると前に戻って意味をつなげ直さないといけないような気がするのだ。多分、子供の頃に図書館にある本ばかり読んでいた影響があるのだろう。
図書館に選ばれた本というのは、言葉選びも秀逸で何より言葉遣いが正しく美しいものが多い。そして、流行に後れている。ひと昔前に流行った大衆小説か文学しかおいていないのだ。
それをひきずっている私は、頭が固いのだろう。素直さがない人間は頭が悪い。しかし、何と言われようと、慣れないものは慣れないのだ。
なんで物語の冒頭から勢いづけて書くのか?違和感を感じながらも、読まされる。飛蚊症だし、あまり長い話も目の負担だ。何日も時間をかけて本を読むのは好きではない。一気に読んで、気に入ったら読み直すようにしている。
この人何の職業?家族構成は?さらっと1回で書き終わられても覚えきれずに、前後の話がつながらない。読み進める中でやっと説明がなされるのもめんどくさい。
短文。短文。短文。詩のような文章の何が良いのだろうと思いながら、それが文学性のように感じて、こうして影響を受けているのだ。
エフェクト、アフェクト、インフルエンス、インパクト、インスパイア、「影響」というちっとも覚えられない英単語の使い分けを考えるみたいに、短文を頭で分析して読むのは骨が折れる。だが、自分が哲学しているような気分に浸れる。みんなそれが好きだから、短文続きの回想のように場面がフラッシュしていく冒頭が好きなのだろうか?
1日に最近の一般書を複数読むと大江健三郎の本が目立つ場所に平積みされている本屋に入った時みたいに、自分が馬鹿になったような気がする。それはそれで心地よかったりもするのだが。
2.海外文学みたいに難しくて
「チーズと塩と豆と」
noteでおすすめされていたので、読んでみたくなりました。
PONO@こもりびとさんありがとうございます。
最近何か若人向けの本しか読んでいないなと(自分が若人じゃなくなってきたので)、文学チックなものが読みたくなり、この本をネットで買おうとしたら、あれよあれよと4冊も買ってしまいました。おまけに買った日に、電子書籍で漫画をしこたま読みました。目が痛いのが、治りません。
まだ、1冊読んでいないですが、それは今度大学病院に通院する日の移動や待合室で読むようにとっておこうと思います。
この本は表紙でわかる通り4人の作家さんが1話ずつ話を書かれています。いずれも欧州が舞台の話・・・と書きながら、バルセロナってヨーロッパだよね?と調べてみたら、スペインでした。ホッと安堵。
テーマが決められて書かれたものだったのか、角田光代さんと森絵都さんの話が特に似ていました。
導かれるように料理の世界に入っていく人生の話です。生まれ故郷や母親の料理にうんざりするときって誰でも訪れるものでしょうか。
わが身に置き換えると、田舎過ぎていつかきっと出ていかなければならないような諦念のようなものを抱いていました。特に技能もなく生きていけるほど、田舎は甘いものではありませんからね。
結局帰ってきたわけですが、このお話でも若かりし頃旅に出て都会に出て、それなりの年齢になると帰ってくるわけです。親とも和解も叶わぬまま、やっと親の気持ちが分かったころには何だか手遅れで、寂しい話だと思いました。ポンポン話が進んでいくので、気持ちが追い付かなくて、それが余計に切なかったんですかね。
テレビドラマを見ていても、カットが3秒とか5秒とかで変わっていく目まぐるしさについていけなくて、時折テレビと離れたくなるのと似ています。そう言いながら、私は子どもの頃でも学校の授業だろうとなんだろうと何もついて行けなかったんですが。水泳の着替えはいつも一番最後までもたもたしていて、モーターカーの作成は、みんなが完成させた時にまだコイル巻をやっていたくらいなので、私みたいにのんびりしている方がおかしいのかもしれません。
十年一日とはいかない。人生とはそれほど目まぐるしいものなのでしょう。海外が舞台ですが、日本のお話にアレンジしてドラマにしたら面白いのかなと思いました。
朝ごはんは必ず卵焼きとみそ汁で、休日だけ総菜パンを買って食べられる。台所はぬか床臭くて、それを言っても母は聞き入れてくれず、そんな芋臭い田舎が真っ平で。お金がなくて、高卒で家を出て飲食店でアルバイトするようになり、自分が感動した味も忘れ、ただ出世を目指す。あるいは、大学受験に勤しんでバイトに明け暮れて大学を卒業したものの、やりたいことも見つからず、放浪の旅に出て、あちこちで厨房の手伝いをしてお金を稼いで、いつの間にかレストランからお声がかかるまでになる。
結末は、自分がどこに根を下ろしたいのかということに行きつくんですね。
雑感を書いた時には、なんだか読後の余韻でナルシズムに陥っていました。が、結局、この海外が舞台のお話は、日本でないだけどこかおとぎ話のような雰囲気が漂っているのだけれど、非常に共感性の高い話なのだと今は冷静に考えています。
いろいろと感覚的に理解が難しいところや、海外生活というもの、その文化をどう考えていいのかわからないところもありますが、人間的な悩みというのは誰しも同じところに帰っていくということなのでしょう。
ポークビーンズとかミネストローネとかみなさん好きですか?翻って肉じゃがとか、白和えとかみそ汁とか食べてほっとしますか?
そば粉のガレットと甘いクレープならどちらがお店で食べたいですか?
私は胃腸弱な割に好き嫌いもないので、どれも好きです。こだわりもありません。でも和食しか本当の料理と言えないと言われたら、洋食も食べたいと反発するかもしれませんね。
3.私がちょっと読みなれていて 「滔々と紅」
じつはnoteで何度も書いてきたのですが、私は時代小説が好きです。食わず嫌いの作家さんももちろんいます。けれども、山本周五郎とか山手樹一郎とか城山三郎とか、近年の作家さんでいえば浅田次郎さんとか苦界の話を読みなれているのです。子どもの頃からすれているんですね。
だから、この話を読んで、記憶を呼び起こされるように、昔の吉原の女の人は大変だったんだなあと改めて説明されている気分でした。
ただ、一方で、今も風俗が日本にあるからある程度は同じだよなと思ってみたり。何だか読んでいて、自分でも薄情だなと思いました。
分かりやすく読みやすい本でしたね。
それでいて、終盤の少しの展開で物語の世界に一気に引き込むという、粘り強く書かれた話でした。
少しの救いもないという感じでもないので、読後感も爽やかでいられます。生々しいという感じもないので、吉原について知りたいという人には入り口に良いのではないでしょうか。重くて旅先の電車の中では読めません!という感じもなかったです。
4.猫の話が読みたかったけれど 「あずかりやさん」
猫を飼っていると、猫の話が読みたくなります。それで期待して読んだんですが、質屋さんの話に近い感じでした。猫が主人公でも、猫との暮らしの話でもありません。もっというと、「吾輩は猫である」の書き方というか、猫やものが人間たちの様子を物語として綴っているのです。
文調が一番好みだったので、この方の話は今後も買うと思います。
全部で6話と特別収録のお話が1話、あずかりやさんにものをあずける人たちを主人公にした短編集です。
トロイメライというオルゴールの話が一番好きでした。年のいった紳士が出てくる話が好きなんです。紳士でなくても旗本次男坊の三年寝太郎さんでも好きなんですけどね。
「チーズと塩と豆と」もそうでしたが、家族の話っていろいろと膨らみようがありますよね。共感性も高いです。私も親に対してこうだなあとか、私は親にこうしてしまうなあとか、自分の身の上に置き換えて考えたりします。これは大人になったからでなくて、子供でも同じではないかと思います。
独身が長いとつい生活感のない話に手が伸びてしまいがちなので、この週末は読書をしていろいろと自戒しました。
もっと発言に気をつけなくちゃいけないなとか、今後のことをもっと考えなくちゃいけないなとか。
物語の主人公のように誰かがふっと日常に現れて、きっかけを与えてくれるわけではないですから。
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