日本はアメリカのような保守性を持つべきか
ある事件が世の中に与えた衝撃
このことについて触れるべきか悩みました。
多くの人が衝撃を受けた事件であり、様々な見解があると理解しています。
その上で、やはりブログに書くのはためらうとか、他の方の意見と衝突するのが怖いという人も多いでしょう。
わたしはこの件について、誰かと共有したいと思っているわけではありません。
わたしの中には、日本というもの、特に日本という国に対する静かな諦めがあります。
しかし、私がもしある日突然死んでしまうことがあったなら、あのこと言っておけばよかったなという後悔はしたくないのです。
人生にやり残しがないよう、自由に生きて死んでいきたいです。
みなさんは、この事件について、何を思いましたか。
どの事件のことについてか、お分かりになると思います。
「美しい国へ」の一節
アメリカ保守の自信はどこから来ているのか
自由と民主主義を広げようという使命感に加え、アメリカは、一国で世界の軍事費の四〇パーセントを占めるという比類なきパワーをもっている。
ネオコンの代表的論客の一人、ロバート・ケーガンは、ヨーロッパとアメリカの世界観の違いについて、著書『楽園と力について』(邦題『ネオコンの論理』)のなかで、十七世紀のイギリス法哲学者トマス・ホッブズの著書『リヴァイアサン』をとりあげて、アメリカの力を説明している。『リヴァイアサン』には次のような一節がある。
人間は生まれつき自己中心的で、その行動は欲望に支配されている。人間社会がジャングルのような世界であれば、万人の自然の権利である私利私欲が激突しあい、破壊的な結末しか生まない。そんな「自然状態」のなかの人間の人生は、孤独で、貧しく、卑劣で、残酷で、短いものになる。だから人々は、互いに暴力を振るう権利を放棄するという契約に同意するだろう。しかし、そうした緊張状態では、誰かがいったん破れば、またもとの自然状態に逆戻りしかねない。人間社会を平和で、安定したものにするには、その契約のなかに絶対権力を持つ怪物、リヴァイアサンが必要なのだ。
ロバート・ケーガンは、このリヴァイアサンこそがアメリカの役割であり、そのためには力を持たなくてはならないという。そして力の行使をけっして畏れてはならない。ヨーロッパはその蓄積を怠ったがゆえに、結局アメリカに頼るしかなくなったのだ。ヨーロッパが国際機関の下で、「平和」というカント的世界に安住できるのは、アメリカがホッブズのいう「自然状態」に対処しているからだ、と。
一九八〇年代、アメリカに対する強い愛着と敬虔な信仰心の持ち主であったレーガン大統領は、ソビエト連邦を「悪の帝国」と言い放ち、ソ連の核脅威にたいして、それをしのぐ戦略で立ち向かった。
(中略)
レーガンは、最後にソ連のゴルバチョフ書記長との間で中距離核戦力全廃条約(INF協定)を結ぶことになるが、アメリカの力による勝利は歴然だった。このことについて異議を唱えるものは、一部のリベラルを除いてアメリカにはほとんどいない。レーガンの勝利は、そのままアメリカの保守主義者の大きな自信になったのである。
リベラルが穏健というわけではない
(中略)
日本には、アメリカの民主党はソフトで、共和党が強硬だというイメージを持つ人がいるが、歴史的にみれば大きな誤解だ。
(中略)
日中関係は政教分離の原則で
こうした日本と中国の関係は、今後も続いていくことは間違いなく、この互恵関係を政治問題によって毀損させることは、両国にとってマイナスにこそなれ、決してプラスにははたらかない。これからの日中関係を安定させるためには、できるだけ早く政教分離の原則をつくる必要があろう。
(中略)
再チャレンジの可能な社会へ
わたしたちが勧めている改革は、頑張った人、汗を流した人、一生懸命知恵を出した社会をつくることである。
(中略)
わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国だ。そして、まだ大いなる可能性を秘めている。この可能性を引き出すことができるのは、わたしたちの勇気と英知と努力だと思う。日本人であることを卑下するより、誇りに思い、未来を切り拓くために汗を流すべきではないか。
日本の欠点を語ることに生きがいを求めるのではなく、日本の明日のために何をすべきかを語り合おうではないか。
二〇〇六年七月二十日発行(文春新書)
この本を読んで私は感動しなかった
この本を聖書のごとく持ち歩いているという人は、実は日本にまだいるのではないか。ネットなどの言論を見ると、保守を自認する人の言動には、この本の影響を強く感じる。
私がこの本を最初に読んだのは大学1年の時だった。一度手放してまた古書で購入した。この本に学びが多かったというより、世の中に安倍元首相を信仰している人が多いので、その人たちの考えを理解しようと思ってのことだった。
私は、この「美しい国へ」という本を読んで感動しなかった。1浪した頭の悪い大学生だったからではないと思っている。この本には重要な理屈が抜けており、論理の飛躍があると未だに思う。その哲学が生まれた時代背景の説明なしに、いきなり、リヴァイアサンの話からレーガン大統領とゴルバチョフ書記長の冷戦の話にとんでいる。
学校の社会の授業で「東西冷戦の終結はアメリカとロシアの武器準備のための資金の調達戦で、アメリカが経済力で勝利した、まさに力の勝利であった」と学ぶことはまずないだろう。あるいは、そのような解説をする社会の先生は、この本や安倍元首相に近しい人の考えを学んで感化されているのだろうと思う。
しかし、昨今の北朝鮮からのミサイル発射の挑発により、日本でも「核を持とう」という意見が専ら一般的になっていることは承知している。私は自分が持てないものを、他人の同国人に持ってもらおうとは考えない。
防衛力の強化が資金力にのみかかっているかどうかは疑問であり、西側諸国の勝利は西側の自由主義の考え方に共鳴する国が多かったからではないかと思っている。
中国と経済連帯するために、政教分離の原則を徹底しなければならないというのはよく分からない。中国のことがなくとも、日本の内政のために、政教分離の原則は果たされなければならないと思う。
また、教育は損得を超えるというのはいかにも正しいようだが、世の中のあらゆることは、損得の側面だけで語られてはいけないと思う。
社会福祉が損得で、外交が損得で、司法が損得でのみ語られていいものだろうか。
契約のなかに絶対権力を持つ怪物、リヴァイアサンがアメリカである。
この考えについても賛同しかねる。国際秩序が安定して見えるのは、ヨーロッパがアメリカの翼の下にあるからであり、日本がそうした安定を手に入れるには、同じようにアメリカの庇護にいるか、世界一の軍備増強をしなければならないと言っているようだ。そのための経済強化というのは、武器産業が儲からないと成り立たないわけで、武器産業が儲かるということは、世界の各地が紛争や戦争状態であるという考えが欠落しているように思う。
また、力による支配を言いながら、階級格差をなくそうという考えも分からない。共和党が強硬派でないと言いながら、アメリカがリヴァイアサンでいるためには、共和党が相応しいと言っているように聞こえる。
なるほど安倍晋三元首相を支持する人は、トランプ大統領を支持するのがよくわかるという本ではあるが、トランプ大統領が結果的に国家浮揚のために軍備増強して戦争を利用したという事実はない。せいぜい日本のカルト集団組織(Moonies=統一教会)やアメリカの武器製造業のご機嫌をとって、アメリカの銃社会を肯定したくらいのことである。
しかし、そのような銃社会の肯定によって、アメリカでは昨今銃乱射による大量殺人事件が連日のように発生している。また、カルト集団を暗黙に存在させてきたことによって、日本ではこの本の著者が銃器によって殺害されるに至った。
国葬当日は、日本各地に献花代が設けられ、地域の集会やパブリックビューイングが実施されるだろう。それを私は、よそながらに眺めることになる。
アメリカがリヴァイアサンで日本もまたリヴァイアサンであるのか。さらに、その時代背景を考えずに、リヴァイアサンは単純に権力の化け物であるということができるのか、ぜひ保守の方々に再考いただきたい。
政治家というのは、私のような国の底辺にいて、損得など考えずに生きているものにとっては無縁の雲の上の方である。そんな人間の他人行儀な形ばかりの弔意など必要であろうか。
わたしがいつか寿命を終えるとき、日本という国はどうなっているだろうか。少なくとも、アメリカを絶対権力者と仰ぎ、その威を借りる狐のようになって、権力者に従わないものを排斥する世の中でないように願う。
この記事が参加している募集
よろしければサポートお願いします。いただいたものはクリエーター活動の費用にさせていただきます。