猫様のクチバシ 第十回 「犬去りて豚来た」
日本統治時代、台湾の人と人は日本人だと自分のことを思って暮らしていた。しかし、今はそうではない。
「日本が戦争に負けたから、私たちも負けた。私たちは日本人になれなかった」
「ああ、あなたたちに従いますでは、台湾人ではないですよ。台湾人なら独立して国を持ちたいじゃないですか」
二分する悲しい独白。
昔話で泣かないでくださいー。
二二八事件
※Wikipediaより参照しており、内容が確かでない可能性があります。
【概要】
1947年2月27日、台北市でタバコを販売していた台湾人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には台湾人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。台湾人は多くの地域で一時実権を掌握したが、中華民国国民政府は中国本土から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。
【背景】
1945年に日本が敗戦した後の台湾では、カイロ宣言に基づき、連合国軍の委託を受けて、日本軍の武装解除を行うために、中国本土から蔣介石主席率いる中華民国国民政府・中国国民党の官僚や軍人らが同地へ進駐し、「失地回復」という名目で台湾の行政を引き継いでいた。
台湾の人たちは中国本土から来た官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの汚職の凄まじさに驚き、失望した。中国本土から来た官僚・軍人は、当時の日中戦争と国共内戦の影響で質が悪く、強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、その犯人が処罰されぬことがしばしばあった。
たとえ罰せられる場合でも、犯人の籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収・横領され、中国上海市の国際市場で競売にかけられるに到り、物資不足に陥った台湾では、相対的に物価は高騰、インフレーションによって企業の倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。
台湾の経済は、日本内地の地方都市を超えて東京市と同じ水準だった。日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい汚職、軍人・兵士などの狼藉、さらに経済の混乱は到底受け入れがたいものであり、人々の不満は高まっていった。当時の台湾人はこれらの状況を「犬(日本人)去りて、豚(中華民国人)来たる」(狗去豬來)と呼んで揶揄した。
概要
思想調査
中国各地の教育当局は今でも、教員らの素行や思想信条を調査するよう大学などに指示しているという記事が日本で散見される。以前朝日新聞デジタルで見たものによれば、特に厳しいチェックの対象になったのは政治科目を受け持つ教員たち。習近平(シーチンピン)国家主席の号令を踏まえた動きで、不適格と判断した場合は解雇や配置換えなどを求めている。
日本統治が終わった台湾でも、そのようなことがあった。政府に賛同していないと、校長先生になれなかった。
日本には無いのだろうか。私たちの思想は私たちで作ってきたものだろうか。自由に意見が言えるからといって、自由に意見が持てるとは限らない。自由に意見が言えないからといって、自分の意思がないわけがない。
日本人は子供の頃から学校教育が全てと思っている人は少ないだろう。むしろ教科書に書いてあると内容が全てつまらなく感じると思う人も多いようだ。一方で、宗教学校も多い。我々どのような形で、他者から思想の影響を受けているだろうか。
戦争は間違っていた。しかし満州や台湾で働いていた日本人教員にも優しい人がいて、理想はあった。その影響を受けて、生きている人たちがいる。
「友だちが銃殺された。できれば日本に行きたかったね。蒋介石の政治は民主主義ではなかったね」
このドキュメンタリーには、そんな声もあった。