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ソール・ライターに惹かれて
長年、ニューヨークで活動した写真家のソール・ライター(1923-2013年)。昨年開かれた東京での回顧展には残念ながら行くことができませんでした。そして京都展が始まりました(3月28日まで)。
ソール・ライターに興味を持つようになったきっかけはもう覚えていません。ローライフレックスを使っていた写真家だとどこかで読んだ記憶があるので、そのあたりが関係しているのかもしれません。緊急事態宣言が解除されたとしてもなかなか京都までは足を運べないので、家にある写真集を見返すことにしました。
以前、ソール・ライターの名前だけは聞いたことがあるという頃は、何となく「ファッション分野で成功した写真家」というイメージを持っていて、さほどその作品に興味は持っていませんでした。でも彼の写真集を見て、それが無知から来る勝手な印象だったことを知りました。実際はファッションに留まらない幅広い写真を撮り、かつ画家を目指したこともあるほど絵画の才能も持った人だったのです。
ソール・ライターは50年以上をニューヨークの同じ場所で暮らし、写真の多くもそのエリアで撮影したものだといいます。街を行き交う人、街中で働く人、街角で佇む人などの何気ない一瞬を切り取った写真に、何度も見返すほど惹きつけられました。また、この写真集には彼が語った短い言葉が散りばめられており、それが写真と同じぐらい心に響いてくるものでした。たとえばこんな言葉です。
取るに足らない存在でいることには、はかりしれない利点がある。
神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ。
雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い。
特に、最初のひとこと。「取るに足らない存在」でいることというのが、おそらくはソール・ライターが写真を撮る上で大切にしていた流儀だったのでしょう。とても共感を覚えました。
巻末には、ニューヨーク国際写真センターでアソシエイト・キュレーターを務める方による解説がついています。ここがまた興味深いものでした。その解説には、ソール・ライターの写真には浮世絵の構図を思い起こさせるものがあること、絵画の「印象派」の誕生は写真の誕生と密接に結びついていて、ソール・ライターはその芸術的系譜の直系の子孫と言えることが書かれていました。
絵画や写真の歴史などについての教養を持っていない私には、この解説の妥当性や独創性は判断できません。でも、風景を描いた浮世絵や印象派の絵画は昔から好きでした。そうした好みが、ソール・ライターの風景写真に惹かれる心持ちと通じているのかもしれないと、何か自分の中でつながったような納得感がありました。
ソール・ライターは2013年に亡くなりましたが、その数年前、晩年の密着インタビューをもとにしたドキュメンタリー映画があります。『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』という邦題で、DVDや配信で日本語字幕がついたものを見ることができます。
長年暮らしてきたニューヨークのアパートでのくつろいだ様子や、インタビューへの受け答えは、上で紹介した言葉から思い浮かべていた質素で飾らない人という印象とまさに同じでした。実際、映画の冒頭はソール・ライターが自らを「ささやかな存在だ(a minor figure)」と評する場面から始まります。
在りし日の彼の表情や言葉がこうして映像として記録されているのは、とてもありがたいことです。映画の題名が示すように、制作者もライターが語る生き方の哲学に魅了されて、この映画を撮ることにしたのでしょう。万人向けではありませんが、ライターの写真、そして彼の本に散りばめられた言葉をいいなと感じた人には、この映画もおすすめです。
そしてこちらが、昨年は東京、現在は京都で開かれているソール・ライター展の公式図録を兼ねた新刊。展覧会には行けそうにないので、これを買って眺めることで我慢しようか、と思案中です。
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