理解し難い、イタリア人の内と外
その日、アパートの玄関を開けた瞬間、ひとりのシニョーラと鉢合わせになった。
「ブォ、ブォンジョルノ」
普段、あまり誰かと鉢合わせになることはないから、慌てて挨拶をしたのだけど、少し困ってしまったのは、その目のやりどころだった。
「あぁ、ブォンジョルノ〜」
明るいトーンで答えてくれたのは幸いだった。
何年もイタリアに住んでいるけれど、まだまだ知らないことも沢山ある中で、家の中と外の境界線がどこで敷かれているのか、理解できない時がある。
その日、鉢合わせになったシニョーラは、バスローブ姿で、頭にはタオルを巻き、しっかりとマスクまでつけていた。
家の玄関を出たら、「外」だと思う私には、その格好は、ちょっと理解し難い。
マスクをつけるからには、「外」に出ている意識はあるのだろうけど、バスローブのままで出てくる感覚は、私にはない。
そんなシニョーラに圧倒されながら、ふと、十数年前のある日を思い出していた。
その頃、私は、84歳なるイタリア人のおばあちゃんと同居していた。
白髪の、とってもエレガントなおばあちゃんで、家の調度品はいつもピカピカ、お洒落には特に気を遣い、週に一度は美容院で髪をセットしてくる。お出かけをする日には、キリッとハイヒールを履きこなすところ、彼女こそ、「シニョーラ」と言う言葉がピッタリくるような、そんなイメージで、いつも私は、凄いなぁと感心していた。
そんなおばあちゃんとの同居で、ある日、家でくつろいでいると、バチン!と急にブレーカーが上がってしまった事があった。分電盤は、アパートの入口のドア近くにあるという。
「場所が分かれば、私が行ってきますよ。」と言ったのに、おばあちゃんは、「大丈夫、いつもの事だから。貴方はここに居なさい。」と、いそいそと外に出ようとする。その格好が、エレガントな下着姿と言ったら、聞こえは良いけれど、まさに、ズロースだったのである。
「お、おばあちゃん…」
遮る間もなく、ズロース姿で階段を駆け降りるおばあちゃん。
誰にも会いませんように…私はそう願うばかりだった。
自分の事ではなくても、なんだか、ちょっと恥ずかしい。
ピッという音と共に、電気がつき、家に戻ってきたおばあちゃんに
「あの、何か羽織っていった方が良かったのでは…」と言うと、
「家の中みたいなもんだから。」そう言って、笑った。
アパートの共有部分も、家の一部なのだろうか。
あの時の違和感が、バスローブのシニョーラとダブる。
家の「外」であるけれど、家の「内」。
今ひとつ理解し難い、イタリア人の内と外。
それは、私が日本人であるからなのだろうか…なんて、思ったりするのである。