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【読書】反戦平和の詩画人 四國五郎/四國光著

「牛飼が歌よむときに 世の中の 新しき歌 大いにおこる」

伊藤左千夫のこの短歌を、四國五郎氏は生前好んだそうだ。

絵がめっぽう上手い学生が、広島から満州へ従軍し、終戦と同時にシベリア抑留となり、過酷な捕虜生活を送る。マイナス50度での強制労働、上級兵士からの虐待と飢餓。過労と栄養失調から大量吐血。
本当に生き延びて帰国されたのが奇跡としか思えない。

帰国した彼が目にしたものは、原爆で焦土となった故郷・広島と、一番仲の良かった弟の被爆死だった。
四國五郎氏は、生かされた自身の使命としてその後の人生を反戦・平和を訴え続ける詩画人として生きた。NHKのドキュメンタリーでも何度か取り上げられたし、絵本「おこりじぞう」の画家としてご存じの方もおられるかもしれない。作品は膨大な数で、私は2度ほど展覧会で拝見したが、どの絵も戦争への怒りが込められたものだった。

この本は、ご子息である四國光さんが、家族の視点から四國五郎について書いた評伝だ。四國家の家族の物語でもある。四國光さんには仕事を通じて長年お世話になった。スポーツマンで、本格的な登山もされるとても熱い方で、前職在職中もなかなか他の人ではやり遂げられないお仕事をされていたが、退職されてから400ページ超もの大作を書かれるとは。どれだけの労力と時間とおはぎ(←好物らしい)を費やされたのかと思うと頭が下がる。
文章の随所に、息子としての愛情と、家族だからこそのわずかな悔悟の気持ちがにじみ出ており、終始あたたかい気持ちで読ませていただいた。

今から考えると、父にしてみれば語りたいことは山のようにあったと思う。語らなかったのは、あまりにも日常とかけ離れた物語であるために、「話してもどうせわかってもらえない」という諦念があったのではないか。当時はそうと気づくことすらなかったが、今から思えば、父にそのように思われていたこと自体がとても無念だ。
こちらから問いかければ、語りかければ、父は喜んで何時間も詳細に語ってくれただろう。自分の人生を変えた体験に、家族が興味を持ってくれたこと、理解しようとしている事実に喜んでくれたと思う。問題は父ではなく我々の無知と無関心にあった。

第3章「戦争体験」-シベリア抑留  P64 


四國五郎氏は、戦争の記憶を風化させず、継承することが「残された大きな責務」だと、生命がつきるまで絵筆をとりつづけた。画壇に入らず、市民運動と共に描き続けた。単なる記録ではなく、表現物だと著者は言う。

「記録」の役割とは、事実を正確に残し後世に渡すこと。それに対して「表現物」は、ある個人やグループが、「何としてもこれを伝えたい」という強い思いに突き動かされて、その思いを再構成したもの。「伝えたい」という表現者の強い意志に突き動かされた格闘の軌跡。それが「表現物」だと思う。

第11章 晩年、そして死 P377

ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチが同様のことを言っていた。「私のしていることは、オーラル・ヒストリーではなく、芸術、文学です」と。
詩と絵という表現物を通じて、反戦平和のメッセージを残した四國五郎の遺産を、ご子息の光さんが受け継いでいる。各地で開かれる展覧会や講演会にひっぱりだこで、東奔西走しておられる。どうかご自身のお身体にも留意してくださいね。

四國五郎氏が始めた「市民の手で原爆の絵を」の運動は、今も広島平和記念資料館平和データベースで見ることができる。広島に行ったとき、この資料館には訪れているが、こんなすごいデータベースがあるなんて知らなかった。

戦争が絶えないこの時代、「記憶」が継承され、”世の中の 新しき歌”が広がりますように。



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