不安や恐怖は押し殺さなくていい♯125
乳がんがわかって1か月。
受け入れづらかったことの1つが乳房の切除だった。
恐らく乳房全摘だろうとクリニックの先生に告げられていた。帝王切開で2度手術室に入ったことはあり、当時患者がリラックスできるよう色々配慮はしてもらえたが、今回、MRIやらCTやらを大きな病院で受けてみて、やはり、病院は好きになれない、と思った。ただでさえ、恐怖心を持って行くのに、あの殺風景な雰囲気がますますそれを増大させるようで嫌だ。手術室を思い出すたび、今も憂鬱になっている。
そのような中、息子の幼稚園時代からのママ友との何気ないLINEで、息子のお友達、Aくんが今度手術を受けるという話を聞いた。
彼は、生後まもない頃から、皮膚の病気と闘っていて、皮膚がんのリスクを抱えながら生きている。これまでも何度も手術を受け、乗り越えてきた。
彼の顔を思い浮かべながら、「Aくんも頑張るんやし、私も頑張ろう」と思いながらも、大人の私ですら、手術は怖い。小学生の彼もきっと不安があるに違いない。何か寄り添い、応援の気持ちが伝わることができないかな、と息子と考え、息子と折り鶴をつくることにした。
Aくんのことを頭に浮かべながら、鶴を折った。
彼は、生まれてから何回も、手術や病気との恐怖、不安と向き合って、乗り越え、がんばってきた。「今回もがんばれ!」という気持ちとともに、「私も頑張ろう!」と何度も自分に言い聞かせた。
そして完成した鶴を先週末、息子と一緒に渡しに行った。
乳がん検査でひっかかったというところまで、友達には話していたのだが
「私、結局、乳がんやってん」と結果を伝えた。
はじめは、強がって「今は心身ともに安定している」なんて話していたけれど、話が深まり
Aくんの病気について、
手術をしても、
いつ、どこにがんのリスクがあるほくろができるかわからない、
外から見えない内臓もありえるから、どこにできているかもわからない
という話が彼女の口から出た時、涙がとまらなくなった。
共感の涙だった。
私も同じ。
今回、がんが取れたとしても、いつ再発するかわからない、
いつ死ぬかもわからない、
この怖さを簡単に受け入れることなんてできていない自分に気づいた。
気づけば、二人で涙を流し合っていた。
彼女は、私たちの前ではいつも気丈に振舞っていたけれど、
ずっと我が子の心身に向き合って、
治療や手術のたびに、色々考え、判断して、ずっとサポートをして
これを10年近くもやってきたんだな、と思うと、言葉にならない感情が沸き上がった。
病気を克服するのは、結局は自分。ある意味、孤独だ。
でも、不安を無理に押し殺さなくていい人、
分かち合える人がいると実感できたことが、とても嬉しかった。
帰り際、Aくんに「おばちゃんも手術頑張るから、一緒に頑張ろうね!」と伝え、「また、みんなで遊ぼうね!」と約束した。
いっぱい泣いて、笑った日だった。
そしてAくんの小さくも大きく感じる手に背中を押してもらった。