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乳がんの記録(全摘手術当日)〜右胸の終りを味わう、そして術後の苦痛♯146

昨日、無事、乳がんによる右胸全摘出手術が終わった。
手術は午後一番。
午前中はゆっくり過ごせた。リラックスしすぎて、うとうとしてしまうくらいだったので、QueenのWe will rock youを聞いて気合いを注入。それくらい恐怖心はなかった。

2度帝王切開手術を受けた経験があるからだろうか。当時、局所麻酔で意識があるなか、内臓を触られている気持ち悪い感覚があり、それに比べると全身麻酔の今回はありがたいな、とすら感じていた。とはいえ、赤ちゃんを産むための手術と、がんを取り除く手術とでは、手術に対するテンションは違う。意味合いも少し違う気はする。
でも、手術とは本来、前向きなもののはず。今回はがんだけど、手術によって、また生きられるのだもの、子供達とこれからも長く過ごせるのだもの、何をそんなに後ろ向きにとらえてるんだ、と自分に言い聞かせていた。

手術直前、ふと最後に失う右胸の記憶を留めておきたい思った。
キャリア理論家のブリッジズによると、転機の始まりは何かが始まるときではなく、何かが終わるときだと言う。終焉を意識して、その後の混沌を経て、新たなステップが踏み出せるのだそうだ。
だからこそ、右胸の終わりをしっかり味わおうと思った。
あと1,2時間で私の右胸はなくなる
と心の中でつぶやきながら、右胸にふれた。
これまで、がんの痼りで、病気の進行を確認することが怖くて、がん告知後は、右胸は極力見ることも、触りもしなかったけど、勇気を持ってふれてみた。
一生懸命におっぱいを飲み続けてくれた子供達によって柔らかくなった自分の乳首に、赤ちゃんの頃の子供達の記憶が蘇った。
乳首がちぎれるんじゃないか、
と当時は何度も思うくらい沢山吸ってくれたな。
かけがえのない子供達との思い出が蘇る。
あと少しで私の身体でなくなる胸ふれると、改めて涙が伝う。お別れなんだ。

胸は、体の外部にあるものだからこそ、思い出がそこに宿る。
例えば、たくさんの思い出が詰まった自分の学校が取り壊されるような気持ちと似ているのかもしれない。でも、意味づけは人間が行うもの。思い出は、ものがなくても記憶に残る。そして失うなら失った胸に対して、新しい意味づけをすればいい。この2ヶ月半のたくさんの人たちから受けた優しさを、そして自分が克服した病を、そして家族の絆が深まった思い出をこの失った胸に宿そう。

13:15。
呼び出された私は、ずいぶんスッキリした気持ちで手術室に入った。まるで歯医者さんで虫歯治療されるかのような気楽な気持ちで手術台に上がる。酸素マスクをつけられ、全身麻酔を点滴で流される。


気づけば、「おわりましたよー!」という看護師さんの声が聞こえてきた。目が悪いからよくわからなかったけど、知らぬ間に病室に運ばれていた。

それがだいたい16時半ごろだっただろうか。
身体中、あらゆる管がささり、酸素マスクも3時間つけないといけない。手術した右胸から出血があるかもしれないから、と右腕は脇から絶対離すなと言われるので、とにかく不自由。スマホとipadをベッドサイドに置いてもらったが不快と恐怖心で何もできなかった。
そして寝返りもうてないから、背中がとにかく痛い。
持参の抱き枕を使うと体位を少し変えやすく、痛みも和らいだ。
スマホもiPadも見なかったおかげで、熟睡はできなかったが、眠れるのは眠れた。

そして術後翌日の朝を迎え、すこぶる順調な回復を見せる。
この続きはまた次回。

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