いつか分かり合えるその日まで_0223
1週間の記憶が曖昧だ。そしてここ1ヶ月の記憶も曖昧だ。駆け抜けていた。
部署異動して、ここ1ヶ月くらいどうですか?
上司に問いかけられたとき、覚えてない....と思ってしまった。生き急いでいたのかもしれない。休職明けが12月18日。ストレスのコップがいっぱいになってしまいオフィスを飛び出してしまった1月16日と17日。部署を異動させていただいた2月3日。そして今日2月23日。
noteそんなに描けてすごいですね
最近お会いする人に、そんな声をかけてもらう機会も増えた。ただ、衝動で描いている。描きたい・伝えたいと思った時に、勝手にパソコンに向かっている。向かわないと気持ちが悪いのだ。
だけどここ数日は、描きたいかもなぁ〜と思っても描ける気力がなかったし、ココロの余裕がなかったんだと思う。
自分で課した自分の中でのシゴトの目標を達成するために必死だったし、残業することが全く苦ではなかった。むしろ達成するために、もっと向き合いたいと思っていた。
人の期待に応えたい、誰かの役に立ちたい想いが強いわたしは、必要だと思えたことには、どこまでも愛情を注げるのだと思う。自分でも驚くくらい、没頭している。
ただ、周りが見えてないときに、体力やココロが追いついていない時もあるだろう。
だから朝起きたら起き上がれなくなって、涙が止まらなくなり、休職したんだと思う。明らかに笑っていなかったし、当時着替えるまでに1時間平気でかかっていた。扉を開けるのが怖かった。現実社会に何も役に立てていないわたしは(そう思い込んでいただけだが)、存在価値がない社会に飛び込んでいくことが恐怖でしかなかった。
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いろんなことが一気に繋がった。ずっと続けていたことが、ようやく終着駅に向かおうとしている。そんな時にお手洗いで鏡を見た自分の顔は晴れやかだった。2019年2月1日に転職して、初めて仕事でやりきったって思えた。それは自分が自分で約束したことを、守れたからだと思う。
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入社してから半年は、会社で3人しかもらえないMVPをもらった。だけど、生意気だと思うけれど、ココロから喜べなかった。
だってわたしはカスタマーサクセスとして入社したのに、カスタマーをどれだけ幸せにできているのか、ココロからの自信はなかったからだ。
それはもうゼロイチプロダクトの宿命であり、ある程度の痛みを伴いながら進むしかなく、割り切るしかないのは、今ならわかる。だけど、割り切れなかったのだ。
お客さまを幸せにすることが自分の幸せなのに、わたしだけが幸せになって良いものなのか。
「仕方ない」で済ませられなかった。感情の生き物だ。特にわたしは感情が強い。共感力が強すぎて、想いがこもったnoteを読むだけで、涙が出てくることもある。人のやさしさに触れるだけで、涙が溢れそうになる。
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とりとめもないnoteを描こうと思った。「いま想うことは、いましか出てこない感情だから」と教えてくれた人がいるから。
だったら最近向き合っていなかった白紙のnoteに向き合おうと思った。どんなコトバが出てくるかわからなかった。
そしてこんなこと、描くかな?と思ったこととは違うことを描いている。でもそれで良いのだと想う。なぜなら、これは自分への手紙だ。
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今まで宛先が明確だったnoteを描いていた。一つは自分。そしてもう一人必ずいた。だけど、今回は本当に自分だけのnoteだから、タイトルとか、どうでもよく思えてきた。笑
日付のタイトルにしようかな。笑
日付のリンクを感じるのであれば、それもそれで良いのかもしれない。誰かがたまたまその日付で読みにきていただけるのであれば、それはそれでご縁かもしれないから。
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最後に、昨日ふと思った事をつぶやいたコトバをまとめたいと想う。ちょっと歌詞風にしてみようかな。
いつだって自分は
人の役に立てる!と
ココロから思えることは 全力投球だった
だけど、本当に役に立てるかわからない
不確定要素が強い時
ぐいっと引っ張ることが苦手だった
視野や視座を高くして
数ヶ月後や、いろんな全体のことを考えると
めぐりめぐって役に立つことだって
腹落ちできるまでは
むずかしかったんだ
だから、ゴリっと未来を描ける人に
強い憧れを抱くんだ 尊敬できるんだ
ただ、ゴリっと未来を描けた後の
現実とのギャップは
コミュニケーションを深めないと
また腹落ちしなくなっちゃっうんだ
めんどくさい人間だよね
でもね、自分のココロが離れちゃうんだ
ごめんだけど
感じてと言われたら それまでだし
そんなに悩む前に行動してよ
と言われたら それまでだけど
ちっぽけな僕には それが難しかったんだ
ごめんだけど
そのバランスがね、僕にはとても難しいんだ
行動しないと見えないことも
あるということは
納得はしているつもりだよ
ただね、ココロが追いつかないこともあるんだよ
心臓というココロを持った人間だから
ボクはロボットじゃないんだ
ごめんだけど
感情の生き物なんだ
それを理解してほしいというのは 甘えですか
それを知ってほしいと願うのは 甘えですか
ねぇ、応えてよ
ボクなりに寄り添いながら
いつか分かり合えるその日まで
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なかなかドロドロの歌詞になりましたね〜。はい。苦笑
こんなことを綴っているわたしですが、相手のココロを見ずに、役に立つはず!と思って暴走もしてたし、生き急いでます。人のことを棚にあげるつもりは全くなく、自分もいつも反省しています。昨日も反省していました。
ほんと気づいてなかった....気をつける。
はんせいっっ!
そんなコトバを届けていることもある。
ごめんなさいと素直に伝えられる時と、はんせい!!!!ってたくさんのびっくりマークと共に届けることもある。
それは、気づかせていただいた感謝から、ごめんなさいと伝えられない時ではある。むしろありがたいのだ。
ごめんなさいと伝えると受け取り手が、「ごめんなさいと言わせちゃってごめんね」と伝えてくれそうな時は、こちらも申し訳ない気持ちになる。
だからそんなときのコトバは、「はんせい!」なのだ。もちろん本気で謝るときもある。本当にごめんなさいと。。。
ー
まだまだ試行錯誤してる
一生時代の変化とともに
コトバのキャッチボールの仕方は
試行錯誤し続けると思う
ー
やっぱりココロと脳内にあるコトバを、白い紙に一つ一つ紡いで置くと、少しココロが軽くなる。
言語化は、ゆうこちゃんにとって
コトバのデトックスになるんだね
そんなことを教えてくれた人もいる。
この異常なまでの言語化の熱量を肯定してくれる、やさしいコトバをかけてくれる人もいる。
わたしの溢れ出る伝えたい欲を満たしてくれる、やさしい方々に囲まれて、今日も生きていけそうです。いつもありがとうございました。
気づいたら、2755文字。
自分への想い溢れてますね。。。
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写真は、2月22日の2月3日並ぶその日に撮影したアオいソラ。最近、ソラを無意識に探している。青ではなく藍色の蒼色のいろんな色のソラを探している。結局タイトルは日付だけだと寂しかったので、最後に綴った詩のタイトルにしてみた。