【取材編】佐野藍個展『ANIMA』。いてもたってもいられず、電話取材を試みた。
コロナ禍で作家は鑑賞者と従来のコミュニケーションが取れない。
作品について、頭の中のあれこれについて語る彼女の真っすぐな眼差しは、常に内なるエネルギーが溢れていた。
今回佐野さんの在廊はなく、独り占めした会場では作品の音色とマスクの下で鳴っている自分の鼻息だけが聞こえる。
直接会って話を聞くことが難しい時に、このnoteを通して佐野さんの想いが伝わり、作品との距離が少しでも縮まればと思う。
彫刻家佐野藍さんの個展『ANIMA』を見て、彼女は何を考え制作したのか、電話取材を試みた。
ーまず、個展開催にあたっての思いや動機を教えてください。
「今回の制作動機は母の命が消えようとしている時の、そのどうしようもなく抗えない力です。綱引きに負けちゃう感じでもうどうにもならなくて」
「末期がんの最後ってすごくスピードが早くて私じゃ太刀打ちできないんですよね。この3年間病気に関してはすごく勉強して母の死ぬまでのスピードを遅らせるために、いろいろ試行錯誤してきたんですね。いろんな医者ともやりとりして、薬のことも勉強して」
「母とうまく日常を演出していくことで、精神的にも変にならないように家族で努めました。一生懸命やってきたけど最後の最後はそれ以上の病気の勢力に敵わなくて」
「それに対してメンタル的に抗える術が、やっぱり制作でしかなかった。ものを生み出していくことが自分の中で大きなプラスのエネルギーだったんです。抗いようもないマイナスの引力に逆らうことは、日々自分の制作を続けていくことでした」
「ただその行動は作家としては根源的な部分と思っていて、いろいろ思う所があるから表現をしたくなる。それが私の場合は彫刻や、今回のアニメーションでした」
ー何故今回はアニメーションを?個展のタイトルでもあり、アニメーションと石彫作品の主人公でもある『ANIMA』の意味も教えてください。
「母の容体が急変した3月くらいから実家で制作していたため、石彫の制作が出来なかったからです。そこで石彫と共通し膨大な積み重ねがないと成立しないアニメーションを前からやってみたかったこともあり始めました」
「その行動が全部ほんとに魂を込めるっていうシンプルなことであり、ラテン語で生命とか魂という意味のアニマっていうタイトルをつけました。アニメーションの語源でもあるんです」
ーアニメーションで影響を受けた作品や、参考にしたものはありましたか?
「予備校生の頃、鴻池朋子さんの『インタートラベラー』という2009年に東京オペラシティーアートギャラリーでやっていた展示を見ました。その時に鴻池さんが鉛筆の手書きで描いたアニメーションを発表されていたんですね。それを見た時から自分もこういうアニメーション作ってみたいなっていうのがまずありました」
「今回アニメーション制作をする上で調べていると、ウィンザー・マッケイさんの『リトルニモ』というのが出てきて。こういうクラシカルなすごくプリミティブなアニメになったらいいなと思いました。参考にしたわけではなく、こういう素朴さがある絵にしたいなと」
ーANIMAの卵は殻ではなく水分を含んだように見えました。
「アートフェア東京での作品『アルビオンの陽』は、生まれる瞬間の神秘的かつ官能的なイメージでベイビー達の卵の殻を女性器のようにしました。その延長線上で妊婦さんのお腹が大きくなって生まれる際の破水をイメージし、その肉感をもって描きました」
ーアニメーションも石彫も表情が可愛らしく、ピュアな目元がとても印象的でした。
「生まれて目をパチパチさせて、初めて表の世界を見るので目の輝きは意識しました。まつ毛に関しては生まれたての子牛をイメージしました。出産シーンで目にする、生まれたてのおぼつかなさみたいな」
ーアニメーションの骨感のない動きは柔らかさに繋がっていました。制作ではどのような動きにこだわりましたか?
「手描きアニメーションだからできることだと思っています。概念の存在するCGに比べて、動きに合わせてフォルムを極端にいじれるのは手描きアニメーションの醍醐味」
「生まれてくるシーンもはちきれんばかりで溜まっていて、出る瞬間はドロンと出てほしかった。だからその瞬間は簡略化して描いてスピード感を出す操作はしましたね。生まれるシーンはやりたかったことが結構詰まってるかもしれない」
「緩急みたいなものがあったらいいなと思ったんですよね。淡々と動き続けるではなく、スピード感とゆっくりなところが織り交ざっているのが魅力かなと」
ー小ドラゴンを食べて自分の命とするシーンでは、前を向かせることに何か意図がありましたか?
「正面を向かせることによって、今まで横視点だったものに奥行きができます。その奥行きが出来た段階で小さなドラゴンをいろんな方向に飛ばしたかったんですよね」
「まだおぼつかない生まれたてのドラゴンと、とても自由に飛んでるこれから食べられてしまう小ドラゴンの対比を見せたかった」
「何かが生まれたらその分何かの命は奪われるんですよ。私が生まれた時点で人格ができて、母の一つの物語が私に移る。主観的な部分が交代するのを意識しました」
ー振り返って今回のアニメーションと石彫という試みはいかがでしたか?
「やっぱり共通項はありました。思っていた通りで積み重ね感と達成した時の喜びがすごく似ていました。膨大な情報量を孕んでいるところもすごく似ている。だから結果としては動くものと動かないものが出来上がるんですけど、本質的にはすごく近いものを感じました」
ー今回の個展は佐野さんにとっての節目でもあったと思います。今後挑戦してみたいテーマや制作について考えていることはありますか?
「やってみたいものはいくつかあります。ドラゴンとか動物とか生物みたいなものは作り続けるとは思う」
「そこに対してどういう風に自分の動機が入ってくるのかは、あらゆることに真正面から向かい合って感じた時の心とその事象の摩擦でものを作っていきたい。そこは変わらなそうです」
「例えば今回の母のこともやっぱり向き合うのはすごくしんどい行為だったんですよね。でもそこで逃げて現実と向き合えていなかったら、苦しいとか怖いという心の摩擦はなかった。それを真正面から受け止めた結果、それでもやっぱり私たちは幸せだよねって言いたいんですよね」
「感性を殺さずに生き抜いたその母の人生は美しかったし、それに向き合えた自分たちも表現をすることは諦めなかった。自分がどんなに状況が悪くなっても、それでも幸せだよねていうことを創りたいから今後も作品を作る」
個展がスタートし撮影等もあり、バタバタと忙しい中でも快く対応してくださった佐野さん。心から感謝いたします。
電話越しの声は変わらず説得力があり、しっかりと前を向いているように思いました。
これから佐野さんはどんな新たな命を紡いでいくのだろう。